2011年3月23日

■ 富士宮が震源地!?


  トップでも分かるように、「UTMF」が延期となりました。残念ですが、地震災害の余波は止まる事を知らず、余震も多く、まだまだ先が見えません。

 富士宮を震源地とする地震から8日たちました。昨日、あれから初めて夜の町を車で行ったら、まっくらけ。大きな大型店のネオンサインが消えただけで、こんなに静かな町に見えるのですね。私は、断然こっちが好き! もともと東京の“昼に思えてしまうほど明るい夜”に違和感あっての田舎暮らしだったので、実はナンダカほっとしちゃう。スーパーも暗いし、面積は小さくなっているけれど、これで充分。たいして不便でなかったのに、すべてが過剰だった生活って、何だったのでしょう。反省多し。
 計画停電もいいけれど、もっと小さく生きられるよ。「え、東京はないの? 東京こそやってよー!」。素直にそう思った私でした。見直そう、生活! 見直そう、価値観! 見直そう、私の食欲! ←実は棚のもの、じわじわ食べている。。。すみません。

 さて、震源地にやや近い(直線で4キロほど)富士宮の林道が大変と聞いて、UTMF実行委員の峰高さんと一緒に、地震後すぐに調査してきました。


割れてた。ヒビだらけ。 深いところは1メートル近いかな。白く見えるのは、野生動物の糞なり。
剥がれてた。直下型震度6強って、こんなになるのだ。

土砂も崩れてました。復旧の見通しは…? 民家も近い山の中、どこも岩がコロコロと転がっていました。
大きな沢でも大岩がゴロンゴロンと転がっていた。言葉がでません。

そして、知人の家を見ると瓦が、わや。「凄い事になったね」「全壊だよ」「…」中も見せて頂きましたが、言葉が見つかりません。 こちらも。自慢の庭に屋根瓦がどどーっ。実は市内までずーっと、雨に備えて屋根がブルーシート養生されていました。
崩れた土砂から芽を出したスイセン。ちょっと慰められた。

 

 あまりニュースにならないけれど、災害を被った人は数知れない。福島県の川内村に住むトライアル仲間のニシマキくん も、原発から30キロ以内であり、とうとうみんなで町から離れての避難となったらしい。通信網は途絶え、久しぶりに新聞を見てびっくりしたのは、「川内村のことはどこにも書いていない!」ことだったとか。ブログ も震災後にアップひとつ。「カメラマンなのにこんな凄い写真載せてしまった」と言ってたけれど、臨場感すごい。表面化しないけれど、みんな大変。みんなガンバロウゥ。
 
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