2003年11月30日 ■ メダルへの道(なんちゃって・その1)
 たいへん長らくお待たせいたしました。(待っててくれた?)たった1チームだったからなのだけれど、女性クラス優勝というお土産を抱えて帰ってこれたアドベンチャーレース「セルフディスカバリー in 屋久島」。11月16日に行われたのですが、その時の感想文を3回に分けてお届けしたいと思います。実はこの文、雑誌ターザンの12月末発売号のための提出レポートです。本当は発売後に出すのが正しいのかもしれませんが、”もう待ちきれないよーん”という訳で、先行して載せてしまいました。内坂さんすんまへん。でもこれを読んで「おっ、ターザン買おう!」と思ってくださる方がいればいいもんねー。それにしても長い文を書いてしまいました。チームターザン15人分のレポートを元にページを作るわけで、ライターの内坂さんの苦労を思うと心が痛みます。私の分で引用されるのはたぶん100分の1??? ってな訳で、短いレースの長い感想文、始まり始まり〜〜〜♪

 「どうしよう、行くの止めようかな・・・」。実は出発の直前まで、屋久島行きを悩んでいました。3週間前の10月25・26日に行われた『第9回日本山岳耐久レース・長谷川恒夫カップ』で10キロ地点から持病の内側靱帯損傷が爆発、最悪コンディションでの走行を続けた結果、私のアンヨは使いものにならなくなっていたのです。レース後、少しは走れるかなと思っていたのに、走るどころか歩くのもやっとという状態。こんなんで参加したら、チームの二人に申し訳ない! またあの伊豆アドベンチャーレースのメンバー(長田麻里ちゃんと菊地由花ちゃん)と出られると知った時は、飛び上がって喜んだというのに・・・どうしょう。とほほ。「2人で番外チームで出てもらうしかないかなあ」。
 出発前日、流れるままに大阪に行き、いつもの鍼灸師のところで膝を見てもらいました。「左の膝がずれているね」と言いつつ、あの手この手でいじくりまわしてもらうと、あらまっ、けっこういい感じで歩けるではないの!! 脳天気な私は、「おっし、やったろうじゃないの〜!」と突然元気になったのでした。走っての練習は皆無だったけれど、右足に全体重を乗せてぴょんぴょん飛び跳ねるという右膝強化トレーニングだけは欠かさずやったし、なんといってもチームターザン、最後のアドベンチャーレース(来年も続くということは屋久島で初めて知ったので、きっとみんな”最後”という言葉がアタマにあったハズ)。「死ぬ気でやろう」と深く決心をしたのでした。あ、私は「死ぬ気」という言葉が大好きなんです。いつでもどこでもそういう気でいるものの、それは「死ぬ気で遊ぼう♪」というのと同意語。なので、正確には「死ぬ気で屋久島に遊んでもらおう〜っと」という気持ちで島に降り立ちました。

屋久島上陸へのジェットホイルに乗り込むチームターザン。今回は家族連れも2組いて、アットホームな旅でした。いつもこんな人に見守られているんだねえー。

 


 以前、宮之浦岳登山で一度訪れたことがある屋久島。不思議なパワーとこれでもかという大自然の光景がいっぺんで気に入った屋久島。でも、不思議なことに、数年ぶりで嗅ぐ空気はまったく違うものでした。生暖かい風が心地よいこともありましたが、まるで別の星に来たような新鮮さがあったのです。私が変わったの? それとも競技でやってきたから? たぶん後者でしょう。あの伊豆でも同じようなことがありましたが、私は普段きゃらきゃらしているのですが、”レースモード”に入ると、なんだか感度が全開になってしまうのです。野生の感度とでもいうのでしょうか。木々や大地の囁きがビンビンに身体に入ってきて、すご〜〜〜〜く楽しくなってしまうのです。「うわー、ここに住みたいよぉ〜。屋久島最高! ここを走れるなんてなんて凄い!」(伊豆でも同じこと言ってたような・・・)
選手受付に向かうターザンたち。宮之浦川があまりに綺麗なのでびっくら! でも明日の最終競技、カヤックはここなので「戻って来れるかなあ〜」という想いも。我がメンバーは左の二人。

 さて前夜祭。エントリーは少ないものの、久しぶりのアドベンチャーレースなので、なにもかもが楽しくて仕方ありません。歓迎会に出された地元の人が作ってくれた郷土料理のすごいこと!(ふーん、オフィシャルはこんな人たちなんだ。やっぱりあちこちで見たことあるなあ)キビナゴ、めちゃ美味い!(お、いつもの上位陣がいるぞお。相変わらず速そうだなあ)柏餅だと思ったら、ヨモギ餅なんだあ。うわっ、こんな濃いヨモギ餅知らないよー。明日の朝食に持って帰ちゃおうっと。(それにしても町の人達のコメント、心がこもっていてイイなあ)ビール、飲まずにはいられましぇんねえ。(ぐふふ、長谷川カップではまったく拝めなかった石川弘樹さん見っけ。トレイルラン講習会は不参加だったから話したいなあ。でも恥ずかしいにゃ〜。せめて強靱な足でも眺めてしまおう。ジロジロ)あ、由花ちゃんと麻里ちゃんが地元の人と何やら話している。さすが、きっと明日のコースの秘密のポイントを聞き出しているに違いない。行け〜二人の魅力で聞き出すんだ!・・・と満面の笑顔をたたえて戻ってきた彼女たち、手に持ちたるは満タンの焼酎カップ。「注文でも2ヶ月待ちの焼酎”愛子”なんだけれど、すごく美味しいんだよ。注文してくれるって。やったあ!」 驚喜乱舞する二人の姿に、明日への不安は微塵もなくなった私でした。


宮之浦の公民館で行われた前夜祭での歓迎会。左はチームターザンの山下くん(役者さん)。右のチームは今回3位に入った『とれとれ東龍門』。伊豆アドでは2位だった強者です。


トビウオです。たしか地元の呼び方があった筈なのですが、ぱくついていてメモし忘れちゃった。トビウオのように元気よく走れますように・・・・ぱくっ。
これが手作りの郷土料理。もうもう美味いのなんのって、感動の嵐でありました! レース前の食事としても最高のもてなしでした。アリガトー。
ヨモギぎっしりのヨモギ餅。実物はすごくでかいっす。4つ食べて、翌朝用にもゲットしました。ほとんどの料理がきれいさっぱりなくなってました。 さつまあげ(別の言い方があったのですが・・・うう忘れた)、らっきょうとカツオの混ぜ混ぜ。すっごく美味しくてびっくり。「これが一番食べて欲しいものなの」ですって。 チームターザン+その家族。そして後ろ右から2番目にいらっしゃる素敵な方が、今日本一速いトレイルランナー、石川弘樹さんです。『侍魂(サムライスピリッツ)』でのエントリー、そして当然の一位!

 更なる夕食(&酒盛り)も終え、宿の部屋で荷物の最終チェックに入ったのは深夜。「これ、持って行く?」「私はいらないと思う」「どうしよう、半分持って行こうかな」。それぞれ確認しながら、着々とザックが埋まって行きます。伊豆アド前に繰り返した自主トレーニングのお陰で、部屋の何処を陣取るか、どう行動するかなどは、すっかり慣れていることに改めて感動する私。遠慮はしないけれど、気遣いはたっぷりの二人。おせっかいでもなく、放るでもなく、ほんとうに”いい塩梅”なのです。伊豆アドの時、練習までは絶好調だったのに、なぜか本番で不完全燃焼になってしまった私たち。それを分析して言葉にすることは難しく、実はそのことでしっかり反省会を開いたことはありませんでした。流れてゆく時間の中で、3人それぞれが消化するのみ(少なくとも私はそうでした)。でも「屋久島は再びこの3人」と知った時、「やれる! 今度はやれる! そんな気がするし、それなくしては進まない。チャンスをありがとう、ターザン!」私はもう乗り越えたかのように元気になってしまったのでした。麻里ちゃんの誕生日もあった運命の7月中旬の伊豆アドから4ヶ月、私は自分なりに心のトレーニングを積んでいたようです。アドベンチャーレースにとって「和とは?」「縁とは?」「目標を目指すとは?」「本当の目的は?」。仲間と進むということは、やはりラリーレイドという単独種目を好き勝手にやっていた私にとって、大きな課題であり、面白い題材でした。カケラが分かりかけてきたのが、我が家での合宿あたり、そして単独だったものの長谷川カップは最高の贈り物を貰いました。心と身体は、たとえそれらの何かが欠けていたとしても、バランスを取ることで、あたかも「まあるく」完璧に近いかたちになることがあります。普段のスピードの30分の1を余儀なくされた長谷川カップの下り。でも涙が出るほど楽しくて、自分の身体をイイコイイコしたくなりました(練習不足は反省せなばなりませんが)。そして苦しさや悔しささえも、オトモダチにしてしまったのです。あー、だから長距離は楽しいんだよねえ〜っ。


話している時に、勝手にアンヨをパチリ。ちょっとストーカーっぽいですね、すみません。筋肉もそうですが、指の血豆がすごい。でも私たち全員、指先真っ黒です。爪もないところ多いです。あ〜はっは、同じだったあ〜。

 


  ごめん。なかなか本題に入れません。私は書くのもエンデュランス系だったみたい・・・。
次へ(2003年12月3日)
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