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10月3日、午前8時半。頭の中でガンガン警報が鳴っていました。渋滞に巻き込まれて、お迎えが遅れそうなのです。ああ、参った。私が選んだ道はどうしていつも不正解なんでしょう。携帯もガンガン鳴ります。着信者は見なくても分かる、レイコ。あうあう、わかってます、すみません、あうあう、久しぶりの保土ヶ谷バイパスだったんで、あうあう。 午前9時50分、予定より20分遅れ。頭真っ白で羽田の到着ロビー前に着くと、一目でソレとわかる御一行が。緊張しつつ「遅れてすみません!」とダッシュします。ううう、ごみんなさい。ところが「わざわざすみません」「ご苦労様です」「お世話かけます」、口々にその御一行様は、私たちをねぎらってくれます。そうして、その中に写真で見たことのあるあの方がいらっしゃいました。その姿の優しいこと。すると、いきなり涙腺がじんわりしてきました。あれれ、なんだこれ。頭の中で、ドキドキの鐘が鳴り響きます。 午後6時半。いよいよ「佐藤初女さん、お誕生日会」の開始です。(何故、ここに初女さんがいらして、何故誕生日会かは、ひとりごとの「ガイアシンフォニー」第2番上映会&佐藤初女さん講演会〜モチロン、あのおにぎり実演あり〜を見て下さい)準備万端整って、お出迎えのクルマがカフェに着きました。皆さんが入ってきます。全員拍手で出迎えます。ゆっくりと歩かれる初女さんを、イスキアのスタッフの方々が気遣っています。そうして、出迎えたこちら側へも気遣ってくれます。さり気なく、そして押しつけがましくなく。それを見ているだけで、これまたジワッと来ました。おいおい、ダメだってば。泣くことじゃないよ、ここ。警報の鐘が軽く鳴ります。 午後7時半頃。初女さんが立ち上がって、お礼の言葉を話し始めました。その瞬間に、ジワジワジワ。さらに聞き入っていると、初女さんの声が段々と震えてきました。「このように祝って頂いて、本当に嬉しいです」そ、そんな、感謝で泣きたいのはこっちの方です。もうこうなってくると、涙ダラダラで止まりません。なんだか頭の中で、天使が祝福の鐘を鳴らしているようです。 午後11時半。翌日用の精米を終えると、お隣で残業していた古屋さんがいました。「初女さん、どうだった。やっぱり、泣ける?」レイコが弘前に会いに行ったとき、帰りに握手したら涙が止まらなくなったことを言っているのでしょう。私は、即答しました。「泣けるね」 10月4日、午後1時10分、映画「ガイアシンフォニー 第2番」上映開始。「森のイスキア」の鐘が会場に鳴り響きます。そして、午後3時30分、講演会開始。当初用意していたイスには座らず、しゃきっと立っての講演が始まりました。早からず遅からず、絶妙の語り口が聞く者をグイグイ捉えます。時折混じるジョークに、笑いがこぼれます。そして、命わずかな時にイスキアへ訪ねてくる、または”初女さんのおむすび”を求める人たちのエピソードに、涙がこぼれます。「今を生きる」という言葉が、体にしみました。どこかで聞かされていたような言葉なのに、初女さんから発せられると、どうしてここまで染みいるのでしょう。 午後7時、突然の出来事に台所で固まります。夕食を作っていたら「手伝いましょう」と初女さんが、台所に立ったのです。そうして「透き通るように茹でますよ」とお茶目に言って、ツルムラサキと大根の葉を茹で始めました。「透き通るように」とは映画の中に出てくる言葉です。まさか、本物を目にすることができるなんて! 料理が始まると初女さんは無言です。一心不乱に、食材と向き合っています。動きはゆっくり、でもよどみはありません。沸いたお湯にツルムラサキを入れると、箸でひとつひとつの茹で加減を見ています。私は「茹であがった」と思えば、それら全てをいっぺんに引き上げます。ところが、初女さんは一本一本の茹で具合を見て、一本一本水にさらすのです。そうして、ボールの水を3回くらい取り替えると・・・。 「○×△!!!」ビックリしました。ホンマ、冗談もお世辞も抜きでひっくり返りました。ボールの中のツルムラサキが、生きているのです。美しく透き通ったそれは、茹でる前よりももっと鮮やかに生きているのです。『なんじゃ〜こりゃああ』心の中で叫びます。カブの葉っぱも同じように茹で、同じように生きていました。こ、こんなの見たことないッス。 そうして出来上がった「ツルムラサキの辛子味噌和え」と「カブの葉のあえもの」は、恐ろしく広がりのある美味さでした。使っている材料はありふれた物、調理方法もありふれたこと。なのに、この震える美味しさはなんなのでしょう! 初女さんは料理して食べることを『いのちの移し変え』と表現しています。正にその通り。『育むように、愛しむように作る』ともおっしゃっています。本当にそうでした。むむむ。滅多なことでは感動しない自分が、瞳孔開くくらい感動しました。体中の細胞にイスキアの鐘が鳴り響きました。 10月5日、午前7時半。またしても台所で固まります。初女さんと同行していた弘前ガイアネットワークの成田専蔵さんが、コーヒーのいれ方を教えてくださると言うのです。この方は、弘前で自分の珈琲店とスクールを持っています。(詳しくはHPへhttp://www.naritasenzo.co.jp/)つまり「本物の珈琲の先生」なのです。そんな方が手ずから教えて下さるなんて、あわわわ。ネルの伸ばし方、豆の広げ方、持ち方、お湯の注ぎ方・・・丁寧に説明しながらいれてくれます。その姿は、初女さんと同じです。脇目もふらず、一心不乱。真剣勝負です。そうして、出来上がった珈琲は「噛んで味わうような」深みと柔らかみがありました。うわわわわわ。 同じようにいれてみます。同じようにしているのに、同じように全くできません。しかも出来上がった珈琲の味ときたら、なんて薄っぺらなんでしょ。なんてトゲトゲしいんでしょ。和え物も同じでした。初女さんと同じようにしたつもりなのに、出来上がりの味は、薄っぺらでトゲトゲ。 「料理はその人を表す」とよく聞きます。しかし、これほどまでに実感したのは、マジ初めてです。『自分の魂はこんなに薄っぺらで、トゲトゲしいのか』と情けなくなりました。と同時に、お金を払っても教えてもらえないことを教わったことに、深く深く感謝しました。 午前8時半。お別れです。感謝の言葉が詰まってしまっている私に、初女先生は背中をポンと叩いてくれました。その優しさ、その力強さ。多くの言葉を費やすわけでなく、派手なパフォーマンスをするわけではなく、押しつけるわけでなく・・・・・・存在するだけで、魂が震える人を私は初めて見ました。頭の中にいつまでも鐘が鳴り響いています。 (思い出すだけで何度でも泣ける いすわりまりこ)
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