vol.79 2008年 2月2日  『ごみ拾いからの気づき』 

浄土宗文化局 浄土宗新聞2007/12号 No. 490 3頁
「愚にかえる」

 私の住んでいる静岡県の朝霧高原は、どこまでも牧草が広がる雄大な酪農地帯。東京から引っ越して十三年が経ちましたが、まさに矢のごとしでした。大きく分けると、頻繁にパリ・ダカールラリーなどの沙漠のラリーに出場していた「乾燥(?)期」、夢中になって畑とアイガモ農法によるお米づくりに勤しんだ「農繁期」、そして二年前からポニーを飼い始めてからどんどん命が増え、生活のサイクルが一変してしまった現在の「動物園状態期」の三つに分かれます。
 四十歳までにもバイク店経営やジャーナリストなど様々な事をやりましたが、バイクが中心という意味では一色でした。どうしてこんなにあちこちに手を広げるようになったのか、自分でもよく分かりません。ただ、幼いころから夢中になって遊んだ相手は、いつも"自然"でした。そこにいると安心し、大胆にも繊細にもなり、饒舌で、失敗と反省を繰り返し、家路につくころは、泥だらけだけれども満足感でいっぱいの私がいました。

 とにかく自然に囲まれていたかったので、四十歳手前で都会を離れ、いわゆる「田舎暮らし」に突入します。そしてそれは、自分の得意な分野を存分に発揮できたという意味でも大正解でした。廃屋を直してライフラインを整えていく開拓のような作業は、ラリーと同じく、自然の摂理に逆らってはできません。天候と勘、そして周りの人々に山のように助けられながら、砂を積み上げるように住処を作り、人の縁も大地に雨が染み込むように時間をかけ、ゆっくりと育てていきました。
 生きることに関わる農の営みを始めたのも、別に変わったことではなく、同じように移住してきた人たちが漏れなくそうするところをみると、人間は土に触れると、食べられる何かを作りたくなる本能があるのかもしれません。買うよりも作る豊かさに時代が変化してきたこともあるでしょう。

 そして何より生かされていることを感じるのは、毎日欠かさなかった朝夕のゴミ拾い時です。幼いころから異常に掃除が好きだった私は、友だち家族からも声が掛かる程の「掃除魔」。引っ越してきたばかりのころは、どこを歩いても観光のゴミだらけだったので、夢中で拾いまくりました。いったい大袋に何百個拾ったのか見当もつきません。でもどうしてこんなに好きなのかは、未だに謎です。
 そんなある日、「これだ!」と叫んだのは、仏陀を描いた本(実は漫画)のチューラパンタカという弟子の一人に触れたくだりでした。出家して三年たっても経文を覚えられない彼は、皆から呆れられる存在。けれど仏陀は「真の愚者は知者なり」と言って、彼に掃除だけを命じます。「塵を払わん 苦を除かん」と言いながら掃き捲るチューラパンタカ、ただひたすら言葉を唱えて掃いているうちに、「塵とは我が心の塵。苦とは我が心の垢」と気づいて号泣。目覚めた後は、仏の道において自分の使命を全うしたそうです。

 "立派といわれる人ほど信心は謙虚に"という教えでしたが、私はそんなこととは関係なく、とにかく無心でゴミを拾っている時に「何かを整理している」ことに、ふと気づきました。不思議なほどアイディアが湧いたり、思いがけぬ出会いもやって来ます。でも中途半端ではダメ。誠心誠意を込め、ゴミを捨てた誰を窮するでもなく、ひたすら飛ぶような心で対峙している時に、拾って垢を落としているようなのです。真の愚者になれるかはナゾですが、おそらく私が一生を通して行っていく営みであることは確信しています。

 そういえば家探しの時に学んだのは、"すっかり出来上がった理想の家というものは存在せず、ゴミの山を片づけながら自分の形や色を付けていくもの"ということでした。生きることも同じで、今の居住空間は桃源郷に近いのですが、けっして完璧はありません。毎日少しずつゴミを拾い、草を抜き、水をやり、声をかけ、でも嵐が来てまた倒れ…。けれど楽天家の私は「大きな学びをアリガトウ!」と叫び、失望をさっさと希望に置き替えて、また種を蒔きます。そういえばポニーのボロ(糞)は、畑の最高の堆肥となるのですが、そんな風にゴミでも無駄でもなく、ひたすら廻る人生を送りたいなあと強く思うこのごろです。

 

収穫祭やりたいなあ〜!
 
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