vol.69 2004年 12月22日  『ゆったり暮らせば』 第41回

産経新聞 平成16年(2004年)1月22日 木曜日 12版 18頁
ゆったり暮らせば 第41回
〜隣人に恵まれて〜
とことん話し合える一番の同志


 私が自分を「強運だ」と思うのは、いつも大家さんとお隣さんに恵まれることです。引っ越すとなぜか「こんないい人いるんかいな」という人たちと出逢います。もしそうでなかったら? うーん、特に田舎暮らしでそれは、かなりキツイかもしれません。

 朝霧での暮らしが始まった八年前、真っ先にごあいさつしたのは、同じ開拓農協を大家さんに持つお隣さんでした。キノコの堆肥を製造している大きな施設では、数人の従業員が額に汗して働いていました。「よろしくお願いします」「あっ・・・」。代表のFさん(当時三十二歳で三人の娘を持つお父さん)が固まります。どうやら学生時代に片岡義男さんのバイク小説の写真を部屋に貼っていたそうなのですが、その『幸せは白いTシャツ』の写真モデル(若かりしころの私)が突然現れたのでびっくりしたとか。でも前世からの縁を感じるくらい、あれこれ相談したり、力仕事を助けてもらったり、とにかくお世話になりっぱなし。どうしてこんなにいいお隣さんに恵まれたのかが不思議でなりません。
 そのころは毎年パリダカに出ていたのですが、留守の間の一切合切を、Fさんをはじめとする会社の方々にお任せしていました。郵便、宅配、換気、異常があった場合の対処などすべて。とにかく心遣いが全員絶妙なのです。いつも必ず遺書を残していきましたが、「采配はFさんに一任」と書いてしまうほどの信頼度があり、元夫もトライアルバイクの練習仲間でもあったFさんとは、まるで兄弟のようでした。
 そして平成十(一九九八)年のパリダカ出場の直前には、図に乗って大変なことを頼んでしまいました。三十分ほど離れた清掃センターに年末最後のゴミ出しに行くと、今にも死にそうな捨て子猫が二匹鳴いていたので、連れて帰ってきてしまったのです。海外からわれわれが戻ってくるのは1ヶ月後。「あのぉ、Fく〜ん」と、この時ばかりは猫なで声になったりして。「餌、やりますよ」と気軽に受けてくれたものの、マイナス十五度の野外で生きていた猫たちも、記録的豪雪の日には凍死寸前になったそうです。結局Fさんは自宅へ帰らず、プレハブの事務所に連れてきて、寝袋に入れて一緒に一夜を明かしたとのことでした。
 かつて若いころ、徒歩で三ヶ月の日本縦断をしたFさん。「いや、途中でちょこっと電車に乗っちゃったんで、成功じゃないんです」と謙遜する彼の夢は、微生物(バイオ)やハーブの力で地球をよりよくすること。ここ朝霧で心と身体にイイことしたい私の夢と、かなりリンクしています。けんかもすれば褒めもする、とにかくとことん話し合える一番の同志がお隣さんなんて、ラッキー! これも富士山パワーかな。

山村さんの全幅の信頼を一身に受けるお隣のFさん(左端)、従業員のはんちゃん(左から2人目)、元従業員のアキちゃん(右端)ら気心の知れた仲間に囲まれた生活は最高!=平成13年3月、静岡県富士宮市の自宅

 
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