vol.65 2004年 12月5日  『ゆったり暮らせば』 第37回

産経新聞 平成15年(2003年)12月18日 木曜日 12版 20頁
ゆったり暮らせば 第37回
〜カモの貰い手探し〜
苦悩の末・・・米作りより疲れた


 平成十三(二〇〇一)年の夏。私は田んぼの役割が終わった三十九羽のアイガモを抱え、途方に暮れていました。「きっと誰かがペットとして貰ってくれるはず」と楽観視していたのですが、誰も名乗りを上げてくれません。よく考えると、水鳥のアイガモは、ある程度の水場を必要とします。毎日二回清掃していたカモ小屋からも想像できますが、ウンチの量は大物並みです。仲間とのコミュニケーション手段である”ガアガア”という声も、うるさくないと言ったらうそになります。会う人ごとに「今からのペットはやっぱりカモよね。二羽つがいでいかが? 卵も栄養価が高くておいしいのよ」と言ってみましたが、反応はいまいち。穂をつけた田んぼには置けず(餌場の中で飼うようなもの)、かといってイタチやキツネが出るわが家で飼うのも大変なこと。

 ちょっとの間だけ・・・と間借りさせていただいたのは、同じ『アイガモ農法の会』のI獣医さんの田んぼを利用したカモ池でした。数十坪ほどに、Iさんのアイガモが二十羽ほどいます。そして網で仕切ったところ半分に我が子三十九羽を放させてもらいました。けれど毎日通って面倒を見ていると、やはり田んぼより狭いのでストレスでしょうか、ちょっと性格が陰険になってしまう子が出現。「うーん、心が痛い!」

 そうしている間にも獣医という縁でしょう、Iさんのカモはペットとして順調にもらわれていきます。わがカモたちは養子縁組がうまくいかないどころか、大きくなりはじめてオソロシイことに。餌の量も増えていきます。途中、餌として農家から分けていただくセリの量も、衣装ケース満タンほどになってしまいました。数が減らないので「鳴き声がうるさい」と、Iさん宅に近所から苦情が入ったという噂も聞きました。「もう駄目だ。今週見つからなかったら、仲間の養鶏業者に渡すしかない」。

 自分の無力さに泣きました。きれい事は言ってられない、と思ったその時です。「連絡来たよ! 掛川市の夫婦で、横には小川が流れているんだって」「静岡のミニ動物園で飼いたいって!」援農仲間のTちゃんが、地元大手新聞の「譲りたしコーナー」に掲載をしてくれたのです。載るまで時間がかかったものの、載ったら即日でほとんどの行き先が決まりました。「素性の分かった質のいいカモ肉」を求めていた神戸のレストランは断りましたが、公園に十二羽、個人で十三羽、クレソン農家に四羽、残りはすべてミニ動物園に。八月十四日のカモ出しから数えて二ヶ月後の十月十二日、やっと苦悩に終止符が打たれました。「お米作りより・・・疲れた」

「かわいがってもらうんだよ」。別れはつらいが、もらってくれる人の笑顔がうれしいカモ出し=平成14年10月、静岡県富士宮市下条の田んぼ

 
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