vol.58 2004年 8月18日  『ゆったり暮らせば』 第30回

産経新聞 平成15年(2003年)10月30日 木曜日 14版 20頁
ゆったり暮らせば 第30回
〜農家になる〜
「土いじりが好き」で難関突破


 「いつか馬とともに生活したい」と思っていたので、牧草地だらけの朝霧に来たとき、「ここならすぐに飼えそう」とピーンときました。平成十二年にはその候補地も見つかりましたが、ある時「農地に家も建てられるし、土地価格も違うのだから、農家になって土地を借りたり買う方がいい」ことに気がつきました。

 サラリーマンの子である私には土地信仰も所有欲もなく、むしろそれらが招く弊害に嫌悪感を持っていたので、家探しの時もあくまで賃貸にこだわったのですが、「やすらぎ処」という夢実現のためにはそれも魅力的・・・。けれど農業委員会に相談すると、私が飼うのは繁殖目的ではないので、馬で農家になるのは無理でした。畑など四反(千二百坪)を借りて三年間就業すれば農家として認められますが、「別のことをやるために、とりあえず農家になる」という話をたくさん耳にします。土地や景観に配慮してきちんと農業をしたいと思っても、そうでない人があまりに多いのか、法律や条例は厳しいものでした。

 そんな中、ある人がぽつり。「山村さん、もう二年もお米作っているんだから米農家で申請すれば」。「お米? あ、それいい! だって私、もっとやりたかったんだもん」。今やエラソーに「米農家」あるいは「兼業農家」と語っていますが、正直な話、ちょぴっと邪(よこしま)な考えからスタートしたのです。米作りに命を懸けて農家を目指す人からは怒られそうですが、それでも私は「うんにゃ、どこが悪い!」とたんかを切ってしまいます。家庭菜園も共同でやっていたアイガモ農法の米づくりも、完全無農薬&無化学肥料の自然農だったからです。地球に悪いことはしてないぞーっという妙な強さ。それと、農業は面白いので「もっとはまってやるーっ」という好奇心・・・それだけで農家を目指しました。

 でも、そこからがまた大変。土地提供してくれる人がまったくいないのです。「貸すのはいいけれど、名義はねえ・・・」が続くことなんと三カ月。胃はキリキリ。その間私は十歳は老けたでしょうか。改めて、何で農家であり米づくりなのか、自問自答を繰り返しました。そして確信したのは「土いじりが好きなこと」。好きなことだからこそ、どんなことでも耐えられるはずです。最初のカルイ気持ちは消え、「よーし、死ぬ気でやったるぅ!」という根性座った私がいました。

 「Sさんの田んぼ、大丈夫みたいだよ」お米の師匠のYさんから朗報が届いたのは、そのころです。「神さま、大地を貸してくださってありがとう。絶対にいいもの作るし、絶対に逃げないよ〜っ。」

 十三年四月末、Sさんから水田三.三反、「アイガモ農法の会」のFさんから畑一反を借りて、晴れて新規就農者となりました。

師匠夫婦(左から2人目の山村さんをはさんで)の指南で田んぼを初めて耕した =平成13年春、静岡県富士宮市下条

 
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