産経新聞 平成15年(2003年)10月23日 木曜日 12版 18頁
ゆったり暮らせば 第29回
〜心と身体のリズム〜
仲間と「ゆっくり、ゆっくり」
この朝霧に「やすらぎ処」を造りたいと言っていた私が、実は一番癒されたかったのかな、と気づいたのは、平成十二年に離婚してからでした。その前、この丈夫そうな私が絶不調に陥りましたが、自分では何が原因か分かりません。出張先で突然動けなくなって、整体に運び込まれる。バイクに乗ると手が動かない。過食気味で太り出す(いやーっ!)。いずれもゲンキンなことに離婚と同時になくなりましたが、心と身体の関係は密接かつ繊細です。
でもすぐには行動パターンは変わりません。どうやら「激しく動くこと」で人生の転換期を乗り越えようとしていたらしく、駆け足でその後の半年が過ぎていきました。失意は、過剰な負荷である程度は忘れることができます。
たまたまテレビ番組作りの長期出張が続き、気が付いたら家に戻ってご飯を炊いたのは、半年で数回もないという状況に。猫の餌あげはお隣さん、伸び放題の草を刈ってくれたのはご近所の酪農家と、いったい誰の家なのか分かりません。あんなに大好きな朝霧だったのに。(だからこそ帰れなかった?)ともあれ、大きな出張カバンを引きずり、携帯電話で打ち合わせをしながら、身体を前傾にしてバリバリ走る回る私がいました。
次なる異変に気ついたのは、十三(二〇〇一)年の冬でした。手に持ったコップやおはしをすぐに落とすし、よくつまづくので、「すわっ、更年期障害?」と思って整体に行くと、先生がズバリ、「心はもう充分に癒されてますよ。辛さを乗り越えようとしていたときに自分で作りあげた身体のリズムがまだ残っていて、今のリズムと合わないんですね」。言われてハッとしました。半年の間に、私は大きく変わっていたのです。その一月前から、地元の知人に事務や庭仕事を手伝ってもらうようになり、身体が数段楽になったのです。ほっとしたら、「やすらぎ処発進」の気持ちが再び盛り上がり、その第一歩を踏み出したのもこのころでした。家族はいなくなったけれど、周りには信頼のおける仲間が幾人もいて、寂しいどころか大笑いの渦の中で過ごしていたのです。
自分のリズムはゆっくりで、もう前傾走りは必要な〜し。そう気づいた途端に、ふにゃーと身体が弛緩し始めました。整体の帰り、道行く人々が面白いように私を追い越していきます。ショーウインドーの飾りや人々の会話が飛び込んできます。
それらを遮断していたかつての自分を「よしよし、頑張ったね」と手放しましたが、その後、コップを落とすこともつまづくこともなくなりました。けれど、基本的にテキパキが大好きな私、今でも急ぎそうになると、周りのスタッフが注意してくれます。
「ゆっくりゆっくり、レイコさん。傾いてますよー」。
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最初にスタッフとしてやってきた「はんちゃん」(右から2人目)は、農業から事務全般なんでもこなす頼もしい仲間 =静岡県富士宮市
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