産経新聞 平成15年(2003年)10月16日 木曜日 12版 20頁
ゆったり暮らせば 第28回
〜結婚生活にピリオド〜
「きゅう」が最後の勇気くれた
「朝霧ではごまかしが利かないね」という言葉を、普段からよく使います。厳しい自然の前では、小手先のものはいつかボロが出てしまうので、とにかく「ホンモノ」ということにこだわりました。でもやりすぎたのか、気がついたら自分たち夫婦の関係にもヒビが入っていました。ひえーっ。五年前、平成十(一九九八)年のことです。
どこでもあるようなズレではあるものの、そのままでいることは無理でした。軌道修正も試みましたが、やはり感動の光景を同じ心で見れないのは、ちょっと辛い。”リコン”という言葉が出たものの、二年ほど悶々と過ごす二人がいました。問題の焦点は三つ。「わたし、朝霧に残る」「俺だってここがいい」・・・。大好きなこの土地に残るのはどちらなのかが決まりません。二つ目は名前です。今更旧姓の三好に戻すのも面倒くさい・・・。山村は彼の名で、それを使うのは申し訳ないけれど、仕事はそれで通ってしまっているしなあ。三つ目は猫可愛がりしていた愛犬「きゅう」のことでした。お互いに自分になついていることを主張し、譲りません。「私の子よ」「いや、ここに残る方が育てるべきだ」。これってよくある子供の親権問題?
世間体がなかったとはいいませんが、なによりイヤだったのは、「仲のいい夫婦」と思われていたことへの裏切りでした。「パリダカの番組、感動しながら見たわよ。過酷な中を二人で頑張っていたわね。だんな様によろしくね」。平成九(一九九七)年に初めてパリダカを完走したときの番組の影響はものすごく、驚くべき数の声を掛けられました。うれしい反面「うぐぐ、苦しい」、そして「もう、うそはいやだ〜っ」と叫ぶ私がいました。
朝霧がパリダカを走り抜くパワーをくれて夫婦のきずなを深めてくれたのに、同じ朝霧が「あなた達は新しい道を行きなさい」と言うのです。でも決心がつきません。
そんな中、最後に勇気をくれたのは「きゅう」でした。ぐずぐずしていた十二(二〇〇〇)年の夏、突然自分から姿を消してしまったのです。紛れもない家出に途方に暮れながらも、即日離婚届を出しました。事の成り行きで私がここに残ることになりましたが、名前も世間体も悩むものは何一つありません。しかも十一年間の結婚生活は感謝の気持ちしかなく、サバサバ。な〜んだ、こんなことで悩んでいたなんて。
心残りがあるとすれば、揺れ動く二人の間で「きゅう」をどれだけ傷つけてしまったかということだけでした。ここに来てからどこに行くのも一緒だった「きゅう」。いなくなった朝霧は、むなしさの塊でしたが(悲しくて散歩が出来ない!)、それがまた新しいスタートのけじめと受け止めました。真剣に自分らしく正直に生きることが「きゅう」へのお礼かなと思う私。きっと元夫も同じなのではないでしょうか。
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不和の風が吹きはじめた平成10年夏。泥遊びに夢中のきゅうは、まるで2年後の別れを予感しているような・・・ =静岡県富士宮市
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