vol.49 2004年 3月 30日  『ゆったり暮らせば』 第21回

産経新聞 平成15年(2003年)8月28日 木曜日 12版 16頁
ゆったり暮らせば 第21回
〜トレーラーハウス〜
身軽でゴージャス・・・でも大変


 あきれるほど移動が好きな私の前世は、きっと「遊牧民族」。なので平成七(一九九五)年に朝霧に住むことになったとき、他に選択肢がないのでトレーラーハウスを設置したとはいえ、その身軽さがうれしくてなりませんでした。身軽なのにそのリビングは、数人がくつろげるほどの広さです。冷暖房完備で、大型冷蔵庫、四口のガスコンロ、立派なオーブンも付いています。ゴージャス! ただ、移動を考えて軽量化されているので、照明や窓枠などの素材はぺらぺらで、おもちゃのようなライト感覚。歩くと家中が揺れるのもご愛きょうでしょう。普通の家の常識とは違いますが、一見豪華なのにどこまでも軽いその感覚は、なんだか私にぴったり?

 十三カ所ある窓から見える景色は絵画のようで、「ぜいたく〜っ」が口癖でした。
 失敗は、二重ガラスにしなかったことです。最初に冷え込んだ日にすべての観葉植物が凍ってしまい、改めて「家」というより「車」なのだと実感しました。最もすごかったのは、最初のお正月。元夫はパリダカール出場のため不在でした。元旦の早朝、仕事から戻った私はドアを開けて唖然! リビングの床一面、スケートリンクのように氷が張っているのです。凍結防止を作動すればよかったのですが、まだ大丈夫だろうと高をくくったのが敗因でした。

 凍らせないためにと台所の水をちょろちょろ出して外出したものの、排水管が凍ったのでしょう、シンクから溢れ出た水が見事に固まっていました。お好み焼きのヘラで、厚さ3センチほどの氷を割ってすくっては外へ出す作業を延々と繰り返していると、富士山の裾野から初日の出が昇りました。それはそれはすがすがしいお姿。凍えながらヘラを振り回して氷と格闘する私の姿は情けないけれど、なぜかおかしくて、一人で大笑い!

 簡易でありながら快適生活が営めて、思い出もいっぱいのトレーラーハウス。けれど八年たった今、かなりボロボロになってしまいました。二十年は持つと聞いていたのですが、気温、紫外線、強風、湿気とここの自然は思いの外厳しかったのでしょう。一番顕著なのは雨漏りです。あちこちから浸み出し、私の目にも涙が。最初に業者が言っていた「屋根をすっぽり覆いなさい」という意味が、今ごろ身に染みて分かるのでした。最近のキョーフは、雨後、内玄関が毎度水浸しになることです。カビも結露もすごく、お気に入りだったデッキも腐って壊れ始めました。「移動しながら生活していたら、むしろ平気だったかも」などとほざく遊牧民かぶれの私も、この先を考えると一抹の不安が・・・。生きるって愉快だけれど、た〜いへん!

崩壊が始まりだしたトレーラーハウスから、2000メートル級の山々を望む=平成12年早春

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