vol.48 2004年 1月 20日  『ゆったり暮らせば』 第20回

産経新聞 平成15年(2003年)8月21日 木曜日 12版 18頁
ゆったり暮らせば 第20回
〜朝霧の芸達者たち〜
とことん”楽しいこと”追求


 初めて地元の集まりに出席したのは、引っ越してすぐに行われた「秋の文化祭」でした。出張で不参加だった私は、元夫一人での参加に、内心どきどき。お調子もんの私と違って、彼はかなり硬派というかこわもてで、声を掛けるのに勇気がいるタイプだったからです。「君、パリダカやっているんだって?」。その場の緊張を破って話しかけてくれたのが、酪農家のYさんでした。

 いつでも満面の笑顔で迎えてくれるYさんは、この集落でも異色なキャラクター。朝霧はパラグライダーで有名なところですが、そこで飛んだことが彼にとって転機になったそうです。標高2千メートルから生活圏を見たときに「何て小さい世界。そして何て素晴らしいロケーション!」と思ったとか。以来、面白そうなことはすぐ実行に移します。廃材での宿づくり、野外舞台でのコンサート、ツリーハウスづくり、道端でのソフトクリーム販売・・・。あくまで酪農の体験学習がベースですが、楽しいことをとことん追求する彼のやり方は独特で、やってくる人の心をつかみました。
 あちこちで「朝霧といえば、Yさんって知ってる?」と聞かれますから、今や全国区。そしてこのYさん、地元のイベントでは必ず総合司会に徹しますが、それはもう・・・あまりのギャグにぶっ飛びます。おかしい!! 笑いすぎてお腹が痛くなりますが、それを見守る地元民もまた、実はそれぞれ芸達者なのです。

 富士登山競争をらくらく走る強靱な駅伝ランナー(酪農家)がいます。地元ミニコミ誌に開拓当時の様子を感動的な文章で載せ続けている元区長がいます。イベントでかっちょええ創作ダンスを踊ってくれる踊り子Yちゃんがいます(彼女のこの踊り、私が知りうる中でいちばん好き! 遺伝子組み替えしていない飼料と放牧で育てた牛で低温殺菌牛乳を作っている酪農家の跡継ぎでもあります)。役者はまだまだ続きます。
 そういえば、朝霧の青年たち、かつて銀座の歩行者天国に本物の牛を持ち込んで「お嫁にきませんか〜」と呼びかけたことがあったそうです。見事に何人かやって来たのは、やはり「かっこよさ」でしょうか。遊びごころだけでなく、黙々と重機を使いこなし汗して働く姿には、文句なしにほれてしまいます。

 こんなこともありました。東京の友人が一年間のアメリカ語学留学後ここに移住し、「外国の人が来たら通訳できる」と喜んでいたのですが、実際外国人が来た時に通じたのは、酪農家の方だったと言うのです。彼らは米国、豪州、ニュージーランドなどの研修体験が豊富なので、さもありなん。芸達者な酪農家達はまた、陽気なコスモポリタンでもあったのです。脱帽〜っ!

芸達者な開拓二世たちが集まると、にぎやかな宴会はいっそう盛り上がる(前列右から3人目が話題のYさん、後列左端が山村さん)=平成9年冬、静岡県富士宮市 

次へ(2004年3月30日)
【Top Page】

Copyright 2001 Fairy Tale, Inc. All rights reserved.