産経新聞 平成15年(2003年)7月10日 木曜日 12版 22頁
ゆったり暮らせば 第15回
〜薪割り〜
”木の命”燃える暖かさは格別
朝霧高原での生活は、作るコトと身体を動かすコトが大好きな者にとって、天国そのものといえます。薪割り、草刈り、日曜大工と、まるでわいてくるように作業があるのです。都会ではバイクをいじるのがせいぜいだったわれわれも、ガキンチョのように目を輝かせて飛び回りました。そして、数え切れないほどの学びがそこにありました。
近所で田舎暮らしを始めた人との会話は、もっぱら「今、何の作業中か」あるいは「今、何に夢中か」ということに尽きました。ある人はガレージづくり、ある人はガーデニング、そしてある人はペンキ塗り。最初にわれわれがのめり込んだのは、田舎暮らしの定番、薪作りでした。
知人からいただいた手作りのドラム缶ストーブをガレージに設置したのですが、これが煙突のそばで石焼き芋もできる優れモノ。形もかわいらしく、「ストーブくん」という名前までついて訪れる人の人気者となりました。汗や油が似合う整備場で、洒落た絵画が掛かっている訳ではないけれど、応接間よりも居心地がいいのか、我が家一番の社交場となりました。ラリー仲間、近所の仲良しさん、昔の同僚、そして仕事でみえた人たちと、至福の時間を過ごしました。時には楽器の音色とともに歌声喫茶化することも(古い?)。
そしてこのストーブ、年中カマドとしても活躍するので、大食らい。そのため薪は必需品でした。割らねば! でもどこで買うのじゃ? とりあえず地元の製材所で買った木っ端を丸ノコで切ってみましたが、意外と高くついてびっくり。悩んでいたら、すぐに近所の人が、林に倒れている間伐材を「もってけ〜っ」と声を掛けてくれました。ワンボックス車に山盛りいただいたのですが、今度は林から一本の木を運ぶということがどんなに大変なのかにびっくり。それは、間違っても足の上には落としたくないほど、重くてデカ〜い代物でした。”木の皮を被った石”だぁ〜。
さて薪割りです。我が家の鉄則ですが、道具を使うときは事故を避けるためにいつも真剣勝負。おちゃらけで取り組もうとすると、元夫は本気で怒りました。「木にも道具にも敬意を払いつつ行為を行え」ということでしょう。剣道が得意だった彼は夢中になり、すぐに長い斧の扱いをマスターしました。実は薪割りはと〜っても難しく、まっすぐ手元に降りてくるようになるには修行が要ります。節目を理解し、丸太に立てた細い木のど真ん中に命中したときのスパーンという音が辺りにこだますると、にんまり。「薪割り道」のお陰で備蓄が増えて、私もにんまり。
こんな思いをして暖をとると、その暖かさは格別でした。「タダだからじゃんじゃん燃やそう」とは微塵も思わず、木が育った長〜い年月と作業の手間暇を振り返り、アリガタヤ〜となります。「すごいことだね。命が回って生かしてもらっている。」と幾度も元夫はつぶやいていました。けれどもそんな感動を味わってもらおうと来客に薪割りを促すと、出来る人はごくわずか。「いよっ、お見事!」と株をあげるのは、かつてそれが生活の一部だった五十代より上の男性ばかりでした。薪割り名人って、本当にかっこいい!
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左から大内流篤さん、林マヤさんご夫妻、日本一周のバイク仲間の高嶋佳代さんといっしょに、ガレージで大人気の「ストーブくん」を囲んで=平成7年12月、静岡県富士宮市
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