産経新聞 平成15年(2003年)6月26日 木曜日 12版 18頁
ゆったり暮らせば 第13回
〜富士山に見守られて〜
漆黒の山頂から昇った満月
「富士山があったから移ったの?」とよく聞かれるのですが、特別そういう訳ではありませんでした。東京で育ったので、子供のころから何気なく見ていたし、校歌に「富士も浮かんでいる」「富士が歌っている」などと入っていたので、刷り込み現象かもしれませんが、決してそれが目的ではありませんでした。ああ、それなのに・・・今は「富士山と毎日お話ししてまーす」「富士山の言葉が分かるイタコを目指していまーす」なんて恐れ多いことを口にするようになってしまいました。
住むと分かるのですが、富士山の表情は実に深くて豊かで多彩です。肉眼でも山頂の笠雲や雪煙の動きが分かりますが、それは信じられないような速さです。そして「あそこにいたらとんでもないな」という時こそ、とんでもなく美しいのでした。早朝の薄い雲のベールの背後から光が踊る様は、どんな舞台も勝てないのではと思うほど荘厳で、幾度勝手に涙が流れてしまったことか。デジタルカメラを初めて手にした昨年は、朝日の連写に凝ってしまい、毎朝一度の日の出に、五十回ほどシャッターを押していました。これがフィルムでとなると家計が大変! たくさんのカメラマンが朝霧高原を訪れますが、きっとみんな同じ気持ちで夢中になってしまうのでしょう。
いつからか、散歩の途中で日の出の富士山に手を合わせるようになりました。もちろんラリーや稲の生長といった身近な願いもあるのですが、自分のためよりも「争い、なくなれ〜」「自然よ、なくならないで〜」といった地球規模でないと具合悪い感じがあります。宇宙における富士山の意味を感じたのも、住んですぐのこと。宇宙船乗組員の「宇宙から日本を見ると富士山がすぐに分かる」という言葉が残っていたからかもしれません。見守る愛は無限大、さり気ないけれど的確な指南。とにかく私にとって富士山は、なくてはならない存在となりました。
そういえば移住の時に、あるメッセージをくれたのも富士山でした。半年間の新天地探しに疲れ果てた平成七(一九九五)年の梅雨。「今日もダメだった・・・」。焦る気持ちで朝霧から東京へ戻ろうとした真夜中、真っ暗な道を車で走っていたときのことです。ある直線で漆黒の肌を持つ富士山がどーんと現れたので、思わず道脇に停車しました。その存在感に呆然としていると、今度は山頂から満月が昇り始めました。これでどうだあ、という完璧さです。
静かな、けれども大地の鼓動が聞こえるような力強い光景でした。いつの間にか、仕事も家探しも時間も何もかも忘れ、ただ感動の波に浮かぶ自分がいました。その時です。ふと「あ、見つかる」という確信めいたものがやってきたのは。今の住処と出会ったのは、その直後でした。
初めて私が富士山から何かを感じた「その道」とは、まさに我が家の氏神様が祀ってある人穴神社(今も頻繁に足を運ぶ大好きな神社♪)の横にありました。あの時富士山は、許可をくれたのではないでしょうか。「じゃあ、住んでみる?」なあんて。
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笠雲をまとった富士山を望みながら、自分の田んぼでできた米のおにぎりをほおばる山村さん
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