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朝霧での暮らしは、『きゅう』という1匹のワンチャンなしでは語れません。実はこの文章を書いた半年後の2000年7月、散歩の途中で突然消息を断ち、今現在も音沙汰なしなのですが、まだ何処かで生きているような気がしてなりません。私を癒してくれたように、何処かの誰かを幸福にしてあげているのでしょう。この2年半で、きゅうとの散歩道を同じように歩けたのは、なんと5回に満たないだらしない私なのですが、きゅうと交わした幾千の愛情で、心はほっかほかです。きゅう、カアチャンは元気だからねっ! (2001/12/29) エッセイスター【第2弾】 『PHP』 2000年3月号 特集テーマ 心からの「ありがとう」 出会ってから五年の月日が流れた。たったとも思える短い時間だけれど、私は彼にどれほど大きな無形の喜びを与えてもらっただろうか。それは、とても言葉では語りきれない。絶妙のタイミングで現れた彼は、年齢不詳(たぶん三、四歳)のテリア系の小型雑種犬。都会を離れ、富士山麓の雄大な自然の中で暮らし始めて一週間とたたないある日、迷い犬だった彼は、家族となった。 近くのキャンプ場で、「引き取り手がいないと、可哀想だけど明日保健所行き」というその場にたまたま居合わせた私たち夫婦は、すぐに彼が気に入った。引っ越したら柴犬をと思っていたのだけれど、おじいさんのようにも少年のようにも見えるなんだかユニークな顔つきの(なぜか女子校生にウケる)この子にピンときたのだ。九月にやって来たので、『きゅう』と名付けた。 しかし以前何かあったのか、二カ月ほどブルブル震えっぱなしだった。子供には相当痛い目にあったらしく、見ると吠え、側を通ればアキレス腱をカプッと噛む。震えは無くなったが、カプッは、まだ完治していない。そして右足の股関節は、小さいころ脱臼したのがそのまま固まってしまったらしく、生活に支障はないものの障害犬だ。しかし心と身体に傷を持ったこの子との出会いは、私の心をどんなに満たしてくれたことか。 それまで仕事とラリーという夢に全力疾走し、それが生き甲斐だった私には、何の不満もなかった。が、三十歳代の頃、子供が欲しくてそのことが頭を離れないときがあった。けれどなぜか天使はやって来ない。それも人生と思ったり、先祖の墓石が欠けているのかと思ったり、もっと仕事に打ち込もうと思ったり、いやいや放浪の旅に出ようと思ったり、私の心は揺れっぱなしだった。今では笑い話だが、「子供がいないから洞察力がない」「子供がいれば話が合うんだけど」「子供がいないと何でも出来るわね」などと他人から言われ、顔で笑って心で泣いたこともしばしば。ちなみに「同じことをユーミンに言えるか?それは個人の問題で、子供のあるなしじゃないだろ!」と(心の中で)反論していた。今はここまで来ると(四十二歳)殆ど言われないし、むしろその一言でその人の価値観が分かるので便利、と思えるほどへっちゃらになった。 『きゅう』と出会った頃、私はまだ迷路の中だった。野良でも大丈夫なほど自立しているので、私がいなくちゃは押し付けだが、物理的に時間は失われた。当たり前だが、嵐になろうが締め切りだろうが朝夕の散歩をし、怪我をすれば電車に乗り遅れようとも医者に駆け込み、出張時は夫の両親に預かってもらうため、二人で東京を行ったり来たりし、誰にも預けられない出張時は、ホテルの前の愛車の中に『きゅう』を置き、朝また散歩をして・・・。そう、車での旅行は数限りなく、彼が知らないのは、九州と沖縄ぐらい。しかしこうした時間のやりくりは、私にいろんな事を教えてくれた。もちろんその事自体が楽しく、面倒臭いと感じたことはなかったが、それは予想の及ばない立場から世界を見る学びだった。自然、動物、弱い立場の人のこと、遊びや仕事の意味etc。 時間を失ったのではなく、時間や空間に変化をつけ、他者のために無心になることの至福感を彼は教えてくれたのだ。忙しそうにしていると「もっと大切なことがあるのに」と囁く。約束を破るとガッカリして萎える。夫婦喧嘩など以っての外で、今にも死にそうな辛い顔をするので、すぐに中止だ。「犬と子供は別もの」とも言われたが、もし私が人の子を産んでいたら、『きゅう』と同じように障害があっておどおどした子がやってきて、同じように前向きに対処していったと思う。百パーセント疑いの無い愛情を溢れるように受けることの意味。この愛は夫との愛とも違う。『きゅう』がいることで私たちも成長し、そして気が付くと、自分の子供への執着はまったく無くなっていた。そこに愛があることが問題で、形ではなかったのだ。いたらいた、いないならいない、他人の子供だって同じようにいとおしいじゃないか。 かつて地方で講演した時、何故かそこに占い師が現れ、「あなた来年の九月に子供が出来るわ」と言って立ち去ったことがある。能天気に喜んでいたのだが、九月が終わり、気が付いたら傍らにいたのは『きゅう』。占い師には、彼の姿が見えていたのだろうか。すでに白内障気味の『きゅう』。私たち夫婦もリスクの多い競技をやっているので、あと何年一緒にいられるかは神のみぞ知るだけど、宝石のような一瞬一瞬を大切にして行きたい。本当に、我が家に来てくれてアリガトウ!! |
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次へ(2002年1月5日) |
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