◎1月23日〜2月28日

1月23日
みんなにありがとう。
アフリカにありがとう。
やりました!完走です。

第17エタップ 145km(ワディ・ラヤン〜カイロ/SS10km、リエゾン135km)
 第22回大会の最終エタップ。短いリエゾン終了後、SSスタート地点に選手は再び集合する。10kmのSSは素敵なショーだ。フィニッシュラインはピラミッドの横だ。19時からスフィンクス前で表彰式が行われる。※バイク用の箱は届けられない。

ラリー最終日、第17エタップを前日の大転倒で負傷して迎えることとなりました。当初予定していたSS10kmは4kmに短縮されたものの、リエゾンを含め約140kmを走ります。
ピラミッドを前に山村レイコはどう走り、何を思ったのか、現地時間1月23日夜10時30分(日本時間1/24朝7時30分)のレポートです。

 はーい!無事完走です。ありがとうございます。ホントに嬉しいです。
 さっき表彰式があったんだけど、何とバイクの女性クラスからの表彰だったの。私は全然知らなくて、シャワー浴びちゃったりして、後で聞いたの。で、3位入賞です(笑)。ピラミッド型のトロフィーをもらってきました。へへへ(笑)。

競技最終日。ちゃんと走れましたヨ。

 今日のSSはなんと4kmに短縮されました。で、リエゾンも130kmちょっとかな。走りの方は特別に問題ありませんでした。でもね、昨日のケガでですね、歩く速度はいつもの1/3ですね(笑)。うまく歩けないのね。階段歩くのなんて、死ぬほど時間がかかる!ちょっとスゴイものがありますよ。実は、リエゾン走ってる時は死ぬほど(足が)痛かったの。でもSSはまあまあ大丈夫でした。本当にびっくりするほど歩くのに時間がかかっちゃって。シャワー浴びるのにも(いつもの)3倍くらい時間がかかっちゃって。
 昨日のケガのこと、いろんな人がみーんな知っててね。「レイコはメディカルに行ったままらしい」とかね。朝みんなに会ったら「おーおー心配したぞ」って。ありがたいですね。

ピラミッド横のゴールでは涙しました。

 今日のSSは4kmなので、前も後ろも走っている人はいないんだけど、観客がいっぱいいてね。すごい!今までにない観客。人、人、人。その中を最終ゴールに向かいました。
 ゴールする時、私は泣いてしまったですヨ。ハイ。手前50m、というよりもうピラミッドが見えた時から(実はリエゾン走行の時からビェーンと涙ぐんでたけど)ね。嬉しい涙なんだけど、『よく頑張ったよなァ…(涙声)』と思いながら…自分でハラホロと、ウ〜ッと泣いてしまいました(笑)。昨日のこと(大転倒とケガ)もあったし、余計にね…。
 ホロリホロリときてしまったんですが、ゴールした後、記念撮影があるのかなぁと思っていたんだけど何もなくって、主催者も取材の人も忘れてるんだろうか!…と、つい現実的になってしまった(笑)ワタシなのでした。
 今回のラリーは、随分いい人にたくさん会えたな、というカンジです。チームメイトはみ〜んな仲が良くて、本当に良かったと思ってます。気がかりなのは、ゴール地点にみんな揃ったのに、クロードの姿が見えなかったこと。いないのよ、本人が…。どうしたのでしょうか…。
 今はもうカイロのホテルにいて、ちょうど谷口さんたちも一緒のホテルだったのです。みんな最後まで一緒に来れてますよ。

私を見つけてくれてありがとう。

 昨日の私の大転倒は、どうも大きな石に当たって体もバイクも飛んでしまった、という事のようです。倒れていた状況は、私の右のお腹の横に前輪が、左のお腹の横に後輪があって、ちょうどその間に体が入っていた、と。それで転倒のニュースを聞いて、例のピレさん(他のチームのエアメカで、知り合い)も駆けつけてくれたということでした。気を失った私を助けてくれた人も判明していて、ベルギーのプレスカーの人達でした。「良かったね。ボクたちが見つけなかったらどうなっていたか…」と言うのね。その通りで、そうでなければ私も死んでいたかもしれないと思うのでした。偶然見つけてくれて、ホント、バンザーイ!というカンジです。あとね…。
(〜なぜかしばらく間〜)
 …おっと、寝ちゃった(笑)。今、何喋ってたんだっけ(笑)。記憶ソーシツ(笑)。お、記憶ソーシツと言えば、斉藤くん!
 斉藤くんが非常に元気でね…回復力というか復活力がスゴイね、ホント。で、私も今日、朝起きたら結構足は動いたんで、「マムシの女」というか(笑)自分でもスゴイなと思いました(笑)。しかし!歩く時は人の何倍も時間がかかってまーす(笑)。

カイロのホテルにて想うコト〜ラリーを終えて。

 ゴールした時、今までに何度も言ってるけど「決して一人で走ったんではなく、みんなにとにかく支えられたニャ〜」とつくづく思いましたねぇ…。で、いろんなことがあったなぁ〜、大変な中でも随分いろんな事を考える事ができたなぁ…と、『実り多き、思い出深き』ラリーになりました。
 そして今回の一番の収穫は、友達が、親しい人がい〜っぱいできたことかな。それが宝だよね。それと、アフリカの姿を今までと違った角度で見られたことですね。

 ということでつづってきたラリー日記ですが、明日(25日)の夜には飛行機に乗ります。いろんなメッセージ、ご声援、本当にありがとうございました。時間があれば、また連絡します(日記に載せます)。そしてこの日記の終わりは、自分自身で(帰国後かな)ちゃんとつけますので。それでは、お休みなさ〜い。
(P.S.丸富製紙の皆さん、出発前のお約束通り、完走です。ご支援本当にありがとうございました。)

●今日の成績
 SS/101位

●総合成績(2輪)
 出場台数/203台
 完走台数/107台
 総合成績/87位
 女性クラス/3位

【RE-ECO編集室より】
 ラリー日記を毎日ご覧頂きありがとうございます。本人の最後のコメントのように、まだ最終回ではありませんので、お楽しみに。完走、そして女性クラス3位。皆さんのご声援、本当にありがとうございました。


1月26日
編集室より

山村レイコ帰国〜整体へ。
1/26午後4時、編集室に帰国後の第一報が入りました。

「山村で〜す。毎朝のレポートがなくって寂しいでしょう。私は今静岡に帰る途中です。整体によって朝霧へ戻ります。ケガですが、切ったところは思いのほか大丈夫かもしれません。でもムチ打ちに、打撲に、肉離れに、とケガの百貨店状態ではあります。また早いところ皆さんにもお会いしたいですねぇ。」

ということでした。このあと、今回のホームページをはじめ強力にサポートしていただいた丸富製紙株式会社、ホームページの更新スタッフに電話をかけ、帰国を報告していました。日記についてはそろそろ本人の筆で、何か出てくるのではないかと思いますので、お楽しみに。


1月28〜29日
帰国しました。感想が遅くなってゴメンなさい。

帰国しましたよ。朝霧に戻って参りましたよ。
実はイロイロとバタバタしていたのです。特にカイロではホントに。
ラリー終了後ってのはマシンの積み込みとかいろいろあってバタバタになるってことをつい忘れていたのでした。
チームのみんなも全員バタバタ状態。アレキサンドリアという港までカイロから約2時間かかるのですが、そこへバイクを持っていく間にみんなとは離ればなれになってしまいました。チームメイトにもちゃんとあいさつもできずに帰ってくることになり、私だけ一足お先に日本へという状況です。落ちついたらみ〜んなに手紙を出そうと思っています。

帰国後すぐに病院へ行きました。レントゲンをとると、本来、自然な湾曲カーブを示すはずの首の骨がなんと直線(!)になっているではありませんか。
頚椎捻挫、いわゆるムチ打ち症と呼ばれる状態でした。
実はそれが一番すごいケガで、今までは左足太もものイタミがすごくてその事にあまり気づいていなかったのでした。(SS、リエゾンでもそうでした。)
ハッと気づいたのは「最終日の走行距離がもしもっと長かったら、リタイヤしていたかもしれないな」という事でした。あやういところでセーフでしたね。

それとね、左太ももにはなんと!ぬった跡がないのです。
私が勝手にぬったと思っていたのでした。チクンチクンと針をさすような痛みは実は消毒液だったという事実…。ウ〜ム、何とお粗末!傷はテープで止められておりました。
今は4cmくらいのジュクジュクとした傷跡が残っております、はい。

左足太ももを強打していますのでやはり階段を登り降りするにはものすごく時間がかかります。普通の歩行でもそうですからみんなが席を私にゆずってくれたりして、ウレシイ!とはしゃぎたくなるのですが、病院では「安静に」とキツク言われております。

整体にも行ってきました。100ヶ所くらいに激痛が走りました。特に首と足と腰は激痛だらけ!でした。
この理由は2つあって (1)長い間バイクで走ったから (2)最後にひっくり返った(大転倒した)から、なのですが、精神的には全然OKで、気持ちよい、爽快感が残っているくらいです。でも体は限界ギリギリのところへきていたという事なのでしょう。
走りきってくれた分、いたわってあげようと思っています。こんなに身体本体(?)とマジメに向き合ったのも実は初めてだったのですが。

これから長い時間をかけて体を治していきたいと思います。

夫(雅康氏)のケガ具合ですが、肋骨を脱臼している状態です。1ヶ所ヒビが入って、2ヶ所脱臼していました。肋間神経と横隔膜の機能も損傷していて、ヒドク痛いようです。笑えない、長い間しゃべれない、くしゃみができない、というそんな状態です。
ですから夫婦揃って二人ともオートマの車を運転するのが精一杯なのです。私の方が快復も早いのでトータルでは彼の方がだんぜんひどいケガでした。(ひどかったからリタイアだったのですものね)
でも、こういうケガというのは外科的な事ですし、ライダーにとってはしょっちゅうあることですから、ご心配なく。

さて、このあとも日記はつづくのです。お楽しみに。


1月30日
帰国後第2弾!

 生きていると、その瞬間が「ああ、こういうことだったのか」と感じることがありますよね。私は、ひっくり返って(大転倒した後)メディカルの大テントに寝ている時、「この瞬間のため」にラリーのいろ〜んな事があったのかな、すべての事はこのためにあったのかな、と感じたのでした。

 人生これ以上ないくらい心細さを感じて、今まで経験したことのないようなダメージを受けた自分、弱くなった自分がそこにいました。その時、側にいてブルブル震える(ライダーウェアを脱いで治療して、ただアルミのレスキューシートにくるまっていただけなので、物理的にもものすごく寒い!)私の頭を撫でてくれたのが、ほかでもない谷口さんでした。メカの幸繁くんも、パーツ箱の整理を手伝ってくれたり、カウル周りにかなりダメージを受けた私のバイクを元通りにしてくれたり、メディカルにも長い間いてくれました。
 安心して寝なさいって、谷口さんとさらに、カメラマンの秀靖くんやマインドルが、私の周りでみ〜んなシュラフにくるまって一緒に眠ってくれたのです。大きなダメージを受けて眠れそうになかった私がようやく眠れたのは、この人たちが「すぐそばにいてくれる」という「安心感」そのものでした。そして…ラリー中、一番よく眠れたのがこの日だったのです。

 この感覚というのは本当に特別なものでしたから、後で谷口さんに、どうしてそう(頭をポンポンしてくれたり、そばにいたり)してくれたのかを聞いてみました。
 実は谷口さんがリタイアした日、夜中にビバークに辿り着いたら、チームメイトも他の選手もみ〜んな寝静まっていたんだって。メディカルに行って、そこでレスキューシートにくるまり眠ろうとしたけど、とても寒いし(リタイアだったから)辛いし、耐えられないくらい寂しい状況の中、一人で寝たらしいの。
 そのときの自分の辛さは尋常じゃなかったから、きっとこの人もかなり辛いだろうと。だからそうしてくれたんだって。医療とか癒しとか言うけど、母ちゃんのやさしさ、とかアタタカイ人が側にいてくれる効果ってのがホントに大切だってことを思い知らされました。秀靖くんは1時間も肩や頭をマッサージしてくれたし、みんな菩薩のようでした(菩薩は女?)。

 でも、ケガとその一連の事を考えてみると、全て自分の凡ミス(ゴーグルのレンズをスモークからクリアに替えなかった)からそうなっているわけですね。自らが学ばなければならないこと、これからの私のラリーの課題が沢山あることにも気付きました。

 今、私は日本に帰ってホームページの原稿とメッセージを確認中。一喜一喜(憂ではない)しています。私がレポートしながらも、完全には把握できなかった部分を確認して、またラリーに参加し、楽しんでいるみたいな気分になっています。
 97年のゴールもみんなでゴールした、という感覚でしたが、現場で知り合った人の多さ、このホームページを読んで下さった方々も加わって、今回は「もっと多くの人」と走り、ゴールできたと思いました。パリ・ダカールラリーは単なるイベントだし、モータースポーツだけど、私自身は必ず参加したその年なりの評価をしています。今、この瞬間に、今年のパリ・ダカールが大事な大事な10数日間だったことを改めて感じています。自分にとって今までにない大事なパリ・ダカールになりました。皆さんのおかげです。ありがとうございます。
 パリ・ダカールラリーは終わりました。これからこのラリーに参加したいと思っている方はもちろんですが、バイクやラリーに興味はないけれど、「元気出したい!」と思っている方々全てに、この日記をホームページ以外でも公開(できれば出版)していきたいと思っています。ぜひ参考にしてください。私が得たこと、情報や体験を、生きることが何より好きな皆さんに利用して(笑)もらえたら、こんなにウレシイことはありません。

 カイロのゴールで涙したこと、泣いたことにも意味があったなぁと、改めて今感じているところですね。で、それは3つの意味があったかな、と。

 ひとつめは、前日あれだけのダメージを受けたのにも関わらず走れた、ゴールできたからですね。これは説明不要。ホントに良かったと思いました。

 ふたつめは、チームメイトが素晴らしい人達ばかりだったからです。ボスのクロード・チュアルとのもめ事は、それもラリーの一面と思い、敢えてレポートしたのですが、実は恥ずかしいけれど、ラリーの参加者の中でもブリタニィ・モトの一件(サポート範囲のトラブルやサポートカーのリタイア等のもめ事)は話題になっていました(細かいトラブルは、ラリー現場でよく耳にしますが、ここまでなのは珍しいので、話題性という意味ではトップクラス。でも私は「人の悪口は言わない」が信条なので、結構悩みましたが……)。で、言い忘れていたのですが、なんとT−5のカミオンも終わりの頃「来ないなぁ、何で?」って不思議だったんだけど、実はリビア中盤でリタイヤしていました。そのことをウワサで私たちが聞いたは、ラリー終了直前でした。でもなぜか驚かないチームメイトたち。サポートカーのリタイアはよくあることではありますが、とにかくみんな強くなりましたよー。
 カイロにゴールした瞬間、そこにいてくれたのは、メカの幸繁さんでした(私は今回完走できた半分は、幸繁さんのおかげと思っているので、言葉では表現できないほど嬉しかったです)。それから、谷口さんや別のチームのライダー達や、昔チュニジアラリーで組んだイタリア人のルチアーノおじさんや、三菱を応援に来たツアーの一行etcが迎えてくれたのですが、この辺りからクロードの姿を誰も見ていません。パリに帰ってしまったとのウワサもあり、謎はピラミッドより深い??いずれ確かめるつもりですが、真実は何だったのだろう。
 「クロードのことは頭にない。意識の中に存在が入ってないっていうか」と言っていたのは谷口さんでした。そうだよね、みんなそれぞれが自分なりのラリーを続けようって、ポジティブに毎日を考えて行くことが必要だってことを、暗黙のうちにみんなで理解していたんでしょうね。そう言う意味では、チームメイトはホント一つになったのですよ。こんな仲間と貴重な(トラブルも含め)時間を過ごせたことに感激したのね、ホントこれも良かったなって。だから、クロードにはむしろ「ありがとう」を言うべきなのかな?……と、今フランスの通訳松本嬢より連絡あり。クロードは、アフリカ最終日辺りに、マラリアになって、現在パリで入院中らしい、とのこと。スゴイ、スゴすぎる。

みっつめの事はこのあとまた、ね。(つづく)


2月8日
今後のスケジュールは

レポートの続きですが、ちょっと今後のスケジュールについてご紹介したいと思います。関連情報のページをご覧くださ〜い。


2月11日
今後のスケジュールの情報を追加しました

 まぁちゃんは今日、トライアル車に乗り始めました。フロントアップすると肋骨が痛いみたい。でもこの連休中ずっと乗ると。
 私は家の周り2周したら右手の親指と中指がまだ死んでました。痛くてグリップ握れない。ワープロやってても、手首が時々ビーンとなって叫び声。明日はまだムリかなぁ。でも、ゆっくり(足で)走れるようになりました。
 スケジュール情報を追加しました。用語解説・関連情報のページをご覧ください。


2月16日
お待たせしました、続きです。

 カイロに着いて泣いた理由、その3つめの話を続けますね。
 「カイロ」というところは、実は私にとって特別なところなのです。初めての海外ラリー出場だった87年のファラオラリーもピラミッドを目指して走ったということもありますが、基本的にエジプト大好き、カイロ大好きなんです。1年前4輪プレスで出場した時には、ラリー終了と共にカイロに飛んで、観光でピラミッドの中(どーしても入ってみたかった。競技だと時間がなくて、なかなか縁がなかったの)も行ってきました。
 それと、89年と91年にリタイアのため走れなかったアガデス以前を今回トレースできたことも大きかったかな。チュニジアとリビアでリタイアしたんだけど、自分にとってそのリベンジ(リベンジと言ってもそんなにキバってるわけじゃなくて、また会いに行くゾ的なカンジの)みたいなところもあって、余計にね。
 実は、最終日、SS前のリエゾンを走っていて遠くにピラミッドがピラッ(笑)と見えた時、もうグッときちゃったのね。SSはダカールの時と同じで、最終ゴールだから、観客ももういるわいるわの状態の中、ここを曲がったらゴール!で、右にピラミッド(カフラー王のピラミッド。ギザに3つ並んでいる)があって、ファラオラリーと同じところにゴールしました。
 その時は涙を止めることができなかったですね。その数日前、石の回廊で助けられた時も泣いてしまいましたが、普段ホントに泣かない自分がとてつもなくナイーブ(笑)というか、そうなってしまったので驚きました。でもクロードのことがなかったら泣かなかったかもしれない。避けて通れない人間関係のややこしさを、自分の中でちゃんとクリアにしたというところでね。他の人とのやりとり(有意義なやりとりがね)いーっぱいあって、それが嬉しくて涙になったというか…。
 とにかく、改めてラリーが好きになりました。フランスも、ディナンも、アフリカも、ラリーに出てる人たちも、みーんな好きですね。何かのカタチでこの感動を次に生かしたいし、それがラリーとは違う夢であっても今回のことを生かしてやっていけそうです。
 今回のラリーには「愛」とか「絆」をテーマにした部分があったのですが、去年は「今を生きる」ということを学びまして、その両方が同時にテーマ化したってカンジでした。「今、止まってこの人を助けよう(エラソーかしらん)」とか、「今、何ができるか」とか、「今、何が大切なのか」と考え、感じて走った18日間でした。

チームメイトのこと。

 谷口さんの兄ちゃんには絶対会うゾ!と思ってます。帰ってきてあのメッセージを読んだら(ラリー中に既に報告は受けてたから分かってたけど)、やっぱスバラシイよね、ホント。このホームページのメッセージってとにかく楽しいよね。それに読んでくれていた方が山の様に池町くんや斉藤くん宛てにのっけてくるんだから。メッセージを下さった方、本人たちにはこのメッセージのこと、ちゃんと伝えましたよ。ご安心くだされ。
 そうそう、斉藤くんのことだけど、あの人ゴールの日はホント絶好調!これからラリー出発か!?ってなカンジで、スタート時の絶不調から一転して、もう別人状態(笑)でスゴかったなぁ…。
 谷口さんと言えば、体の具合はどうでしょうか。実はカイロで「ゴールを見るとダメやねぇー」とポツリと言ってました…。雪辱戦を!と思うのでしょうが借金もあるし、もう一度!と言ってもすぐ、というわけにはいかないかもしれませんねェ。でも是非、ゴール後の笑顔も見てみたい!!それから心配してた「自宅への電話」は、エジプトでのリタイア後、ちょっと電話してたみたいです。帰ってきたら、又是非富山で再会したいなぁ。

成績のこと。

 成績について。87位、決していい成績じゃないし、夫にも「もうちょっと何とかならなかったのか?」と言われちゃいました。でも今回の目的は、成績だけじゃなかったんです。困っている人がいたらそこで止まる、という走り方をしたんだけど、それで止まってなかったら順位は上がっていたかもしれないけれど、今回は最初からこういうやり方をすることを決めていたから。
 自分のこういうやり方での成績はこんなところだったけど、もっとうまくなって速く走りたいし、やれるんじゃないかという気持ちも心の中にあります。でも、得るものはどのラリーより多かったので、今回の結果にはすごく満足しています。

今回のラリーを振り返って。

 今回のパリダカールは、とても「濃密」な時間を過ごせたと思います。短期間なのに普段の何百倍もの時間を使っている、という感覚でした。その時間の中で得たものが何だったか、というお話を少ししましょう。
 転倒からトラブルからいろいろなことがあって、その中で「本当の強さ」ってのは何なのか、がよく分かりましたね。実はそれは、87年のファラオラリーでも同じことでびっくりしたので今更という感じもあるのだけど、それはね、トップクラスを走っている人でもトラブルや故障で立ち止まっている時があるので、「どうしたの大丈夫?」って私が心配して止まると、「OK!OK!ありがとう。大丈夫だから先に行きなサーイ!」って笑いながら言うの。1分1秒でも早くゴールしたいトップクラスの人たちだから、ホント緊急の状態!なのに。で、しかもそういう人は、リタイアじゃなくてきっちりとその日のうちにマシンを直してゴールしてくるんだけど(サポートバイクやサポートカミオンもいる)、次の日はまたトップクラスの走りをしてる。「笑ってる」ってのが、最初は理解できなかったのだけれど、あ、そうか、これが「強さ」なんだって分かったのね。心の余裕というか、どんな緊張状態、緊急状態でも、遊びゴコロを持ってるかどうか、が強さにつながるのだと思う。クロードの一件でもその「心の余裕」が問題だったわけだし、特にその事が強〜く印象に残りましたね。改めて。
 それと、自然をちゃんと「読める」ようになるには、やはり自分自身が全ての自然を受け入れる幅を持っていないとダメだな、ってことも再確認できました。東京に住んでいてパリダカールをなかなか完走できなかったのが、朝霧に移り住んで初めて完走できた時、やっぱり夜というのは暗くなきゃダメだな(笑)と思ったのと同じような事を今回も感じましたね。本当の意味での自然のキビしさも優しさも両方理解しないと、自然が受け入れてくれないという事かな…。
 自然が多いところ、というのはどこも同じ表情をしています。それは朝霧もアフリカも同じ。アフリカだから、とビビることはないし、朝霧の自然のキビしさも優しさも、アフリカのそれと何ら変わりない、ということですね。自分が自然体になれて初めて自然は受け入れてくれる(だから自然体というのでしょうかねェ…笑)のね。

さあ、ラリー日記から朝霧日記へ。

 ラリー終了から3週間が経とうとしています。このホームページに本当にたくさんの方々がアクセスしていただいて、ありがとうございました。私も自分のホームページというのは初めての経験でしたが、今回のゴールは「みんなとゴールしたカンジ」と表現したように、このページを見ていただいている皆さんとのゴールでもあったわけで、日記そのものに、今までにない充実感を覚えています。
 この日記は当分の間ご覧いただけるようにしておきますし、何らかのカタチで(出版とか!?)残していく予定です。
 メニューページに戻っていただいて、今まで<準備中>だったところがこれからの私の新しい情報ページとなっていきます。朝霧のことはもちろん、いろんな事に挑戦したりすることも、イベントや出演、出没情報も載せていきますので、こちらもぜひお楽しみに。それじゃ、ね。


2月28日

谷口さん、その後

 お久しぶりの更新です。2月16日に、谷口さんからFAXが入っていましたので紹介しますね。

「こちら福井は、先日からたいへん雪が降り、もうたいへんです。店にはお客さんはぜんぜん来ないので、ヒマで、退屈しています。夜にペイントをしているので毎日眠たくて、体が変です。雪は降っているのですが、足がいまいちなので、スキーにも、ボードにも行けなくて、ぜんぜん遊んでいません。店はヒマだし、体は変だし、ぜんぜん遊んでないので、5kgも太ってしまいました。でもなんか幸せな毎日です。」

 どうやら元気そうです。お店がヒマなのは、突然のドカ雪だからで、雪国の大変さが伝わってきます。夜にペイントしてるというのは、マシンのカラーリングを塗る仕事が多いと聞いていたので、多分そのことだと思います。
 帰ってきてから谷口さんに聞いたところによると、久しぶりに我が子(3歳)と会った最初の会話は、「お父さん、お顔キタナイよ」だったみたい(笑)。奥さん曰く「いい笑顔で帰ってきたんですよ」とのこと。谷口さんは、パリダカールの思い出話の引き出しが山のようにあるようで、1日1時間くらい、ラリーの話をしてくれるみたいですよ。「リハビリ含めて全治3ヶ月、バイクに乗れるようになるのは半年くらい」とお医者さんに言われたようです。やっぱりまだまだ体がつらそうですが、早く本調子になるといいですね。
 昨日、谷口さんと谷口・兄(笑)より、ホームページで再三話題に上った「お米」が、どっさり届きました。越前産のコシヒカリ!!お兄さんのお手紙には、

「アフリカの砂漠で弟の夢に現れた、兄貴が持ってきた極上の米です。兄ちゃんが言いたかったのは、400万円あれば、アフリカの子供の命を4000人救うことができるのだから、下らない損得の心は捨てて、みんなと仲良く、毎日を満足し、自分の命を喜びとともに全うすることだということかな・・・?」

とありました。最近私は富士山の「大沢崩れファンクラブ」と、長崎県の「生月(島)ファンクラブ」というのをたった一人で勝手に作っているのですが、谷口(兄)ファンクラブというのを設立してしまいました(笑)。多分、夏までにはお会いできるでしょう。どうもアリガト〜。
 谷口さん、確か昨日が地元でのパリダカ報告会だったと思います。楽しい報告会になったんでしょうね。何しろ福井県始まって以来のパリダカ出場者で、地元の盛り上がりはこのホームページでも伝わってきましたもん。この先も、パリダカとの縁が続いてってくれるといいなぁと思っています。

 ところで、出没情報に2件追加しました。3月1日に、FM徳島に出演します。ラリーの話もしていますので、聞いてくださいね。それから、岡山県青年館に97年のダカール・アガデス・ダカールラリーに出場した時の私のバイク(ホンダXR400R)が展示してあるのです。お近くへ行かれた方は、ぜひお立ち寄りください。詳しくは、用語解説・関連情報のページへどうぞ。

さて、2月28日現在の情報です。

 夫・山村雅康は、時々叫び声を上げながらも(肋間神経がイタイ)オートバイに乗り始めました。私は、整体通いでむち打ちの方は随分良くなったのですが、最後の大転倒で突き指したらしい右手中指が調子悪くて、まだ一度もオートバイに乗れてません。愛車のトライアル車で庭を2周したらギブアップ。ツケは思ったより大きかった、というところでしょうか。でも、実はこの先、4月、5月辺りで、四国八十八ヶ所の残り三十九番寺以降を自転車で回ろうかな〜なんて思ってます。本当は歩いてと思ったのですが、じ、時間が・・・(汗)。ええ加減にせーよという声も聞こえてくるので、2週間くらいで回ってくるつもりです。自転車の種類や日にちなどが決まったらホームページに載せますので、途中で見つけたら泊まらせてくれ〜、食べ物くれ〜(笑)。でも予定は未定で何も決まってませんので、いきなり車になるかも(笑)。というくらい、いい加減な私でした。
 あと、8月に、モンゴルの乗馬トレッキングツアーに参加しようかなと思っています。八十八ヶ所巡りもこのモンゴルも単なる趣味なので、家計と相談の上、決まります。でも人生は常に楽しい事への挑戦なので、10年来の憧れだったモンゴルにはぜひ行きたいなと。八十八ヶ所も、ちゃんと高野山でケリつけて来たいな〜と思っています。
 しかしこうして考えてみると、私はやっぱり長いものが好きみたい。やりたいなぁと思うことは、どれもパリ・ダカールに似ていますよね。結局、自分探しの旅なのかしら。

 それから、ホームページを作っておいて今更言うのも何ですが(笑)、今週中くらいに我が家にやっとコンピューターがやってきます。書院を数台使い続けてきたこのパワーで、コンピューターと遊ぼうと思っています。とりあえず、こんなところでしょうか。それでは、また。

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