◎ はじめに

 2000年に行われた『パリ・ダカール・カイロラリー』に、400ccのバイクで出場しました。1989年にその第一歩を踏み出してから、バイクで4度目の挑戦です。1989年は立ち往生で、チュニジアでリタイア。1991年はもっと進んだものの、リビア砂漠でタイムアウトリタイア。他のラリーとは全く違う壁が、そこにはありました。そして1997年、39歳の時に初めてダカールのゴールに辿り着きました。しかもとても楽しく走れたので、“あれっ。今までの私は何だったんだろう”と思ったものです。その時に感じた『何か』を胸に、再び砂漠へ。走行中は誰のサポートも受けずにたった一人で走る、というテーマを掲げました。しかし走り始めれば、「あらま〜、そう来たか!」「えっ、信じられない!」と、びっくりマークの連発です。その時の自分に一番必要なものが様々なカタチでやって来くるのが人生。それは・・・。

 ホームページ『リ・エコ』のスタートが元旦だったので、それに合わせてほぼ毎日、リアルタイムで情報を届けるという偉業を(?)成し遂げました。深夜に衛生電話を抱えてビバークをうろつく選手の姿は異様だったようです(プレス人なら分かるけど、選手は疲れているんだものね)。それともその任務があったからゴール出来たのかな。電話を受けてくれたスタッフにとっても、まさしく耐久レースだったようです。

 同じ年の夏、2000年のパリ・ダカールで知り合ったフランス人女性、エリザベット・グラッツと意気投合し、『オーストラリアン・サファリラリー』にスバル/フォレスターで出場することになりました。2001年のパリ・ダカールに組んで出場するための練習試合。トラブルにも屈せずなんとかゴールし、クラス優勝もしますが、お財布はカラになってしまい、パリ・ダカールはの夢は消えました。しかし、四輪はまた二輪と違う難しさや楽しさがあります。一番の収穫は、まさに駆る為に生まれて来たような気持ちのいい車で、モータースポーツの醍醐味を味わえたことでしょうか。エリザベットはまったく私と似て、笑いだしたら止まらない性格。車内は笑いありケンカあり、とても愉快な旅でした。個人的には離婚直後だったので、エントリー名を本名の三好礼子に変更したり、免許を書き換えたりとおおわらわで、異常に面倒臭かったのを覚えています。フィールドとなったオーストラリアの大地に咲き乱れていたワイルドフラワーの美しさは、今でも忘れられません。



Copyright 2001 Fairy Tale, Inc. All rights reserved.