vol.27. 2001年9月29日 * みなさん、本当に“ありが稲”

 え〜、みなさん、お元気ですか?なんだかとってもいいお天気が続いておりますね。この気持ちいい時に、記念すべき稲刈りイベントが滞りなく行われて、もう本当に嬉しくてなりません。で、私が危惧していたアイガモちゃんも、何とこのホームページを見てくれていた大月のトライアルバイク仲間の高山さんご夫妻の取り計らいで、6羽の子たちがもらわれていきました。相模原のご両親が昔から趣味でアイガモを飼っているというのですが、ちゃんと選んで(アキちゃんもハンちゃんも磯村くんも入っていました!)さっそく名前をつけて、にこにこと貰っていってくれました。きっと幸せに暮らしていることと思います。いや〜、本当にほっとしました。7羽は近くの公共施設で引き取ってくれることになりました。本日みんなで運びます。そして、これがまたびっくりですが、24日月曜日の静岡朝日テレビの『とびっきり!しずおか』を見ていた県内は掛川のご夫妻から、ちょうど鶏舎をつくったところなので、困っていらっしゃるようなら10羽引き取りますよ、とのこと。雉やアヒルも飼っていたというベテランで、川もあるとのことで、もう願ってもない環境です。今月末には残り15羽となります。あと一息ってなところですね。有り難うございます。それにしてもアイガモちゃんたちは、古巣の田圃に戻って幸せそうです。の〜んびり、落ちてるお米を食べたり、運動したり、お昼寝したり…。良かったなあ、何だか良かったなあと、深呼吸する私でありました。

 メッセージにも書きましたが、23日の『稲刈りミーティング』は大成功でした〜っ!!何しろお天気、そしてくっきりしゃっきりの富士山。別に稲刈りでなくたって幸せ気分になってしまう素晴らしい日に、たわわと実った重いお米を収穫する。もう、出来過ぎですよね。遠いところから、たくさんの人が集まってくれました。前回の田植えで来てくれた人が、また足を運んでくれたことも、とても嬉しかった。懐かしい顔や久しぶりの顔や初めての顔に囲まれて、ミーティングは9時頃ぼちぼちと始まりました。機械は、前回もお世話になった地元の矢部農機さんからヤンマーの最新鋭のものをお借りしました。買えば200万円以上するそうです。他にもいろんな時にいろんな人がいろんな形で手を貸してくださったので、自然と『ありが稲』になったんですね(ちなみにこのネーミングは、最近自転車や伊豆のお仕事関係でお世話になっているというか、友人のコピーライターの白鳥さんが考えてくれたものです。一発で気に入ってつけました)。結局、マイ鎌を手にした参加者は、88名いらっしゃいました。子供さんも多かったのですが、初めての鎌をうまく使って立派に“農”してました。機械で残したところを皆で刈っていたのですが、その稲の束を脱穀する機械の場所まで運ぶのがけっこう大変なのですが、みんなせっせとやってて偉い!私はと言えば機械をチラホラ運転させてもらっていただけで、後はあっちふらふらこっちふらふら。何だか申し訳なかったです。すみません。近くの上野中学のテニス部の生徒が、先生と共にマラソン途中にやって来て、ひと仕事(午前中いっぱい)してくれたのも嬉しかったな。彼らも学校でアイガモ農法でお米作っているんだよね。手際がよくてびっくりしました。記念撮影していたら、自分の中学時代をふと思い出しました。そう、私も軟式テニス部だったのよね。自分で言うのもアホみたいですが、けっこう上手かったんだよ〜。将来は絶対にウインブルドンに行くと信じていたの。そう、バイクと出会うまでは。

 予想通り午前中に、すでに大かたの作業は終わってしまいました。機械に「手刈り分残しといて〜」と叫んだりして。そしてお昼は前日4000人分近くのやきそばを作ってギネスに挑戦していた富士宮のやきそばG麺たちが、再び我々の為に「富士宮やきそば」を焼いてくれました。1皿100円。もちろん大好評です。商店街の店主の方や、お店をだしているプロの方など様々な方が、ひたすら町おこしの為にやってくれるのだけれど、楽しそうだし、手際もさすがで、いつも感心させられます。そう言えば、話があっちこっちに飛びますが、私は『富士宮やきそば親善大使』なんだよん。四万十大使とやきそば大使、何だかいい…。

 午後は稲刈りと、網の補修とそして最後によそで休んでいたアイガモちゃんたちを田圃に戻しました。8月14日以来だから、41日ぶりに帰ってきた田圃、最初はドキドキしていたみたいですが、水場を見つけると、すぐに慣れだし、しあわせそうに遊んでいました。稲刈りの日、私は絶対にみんなにアイガモちゃんたちを見せてあげたかったんだ。お米を作ってくれたのは、かなりのパーセントがこのアイガモです。改めて凄いなあと思うことばかりなんですよね。あの台風でもびくともしなかったし、雑草も本当に少なかった。あとは味、味、味…。ですよね。農家のお米を山のように見ているプロの矢部さんが、「大丈夫、見て分かる。これはいいお米だよ。美味いよ」と言ってくれた時は、なんだか喜びのあまり身体がふらふらしてしまう感じでした。

 そしていよいよ翌日、『富士山麓アイガモ農法の会』の人達と、残ってくれた稲刈りメンバーの人とで、テレビの為のお握りを作り始めました。機械乾燥でお米が出来てきたのが午前9時半。それから精米して(私はいつも玄米を食べるのだけれど、テレビのお握りはやっぱり白いのがいいのかなあと、久しぶりで精米しました)、150個つくるつくる…私ではなく友人たち。偉い。みんな、おはぎやちらし寿司作ってきてくれたり、漬物もってきてくれたり、マリネや煮物など、テーブルの上は山の様な幸が乗りました。うわ〜ん、有り難う。そして、いよいよ試食です。その上品な甘さ、粘り、香りにびっくりしました。米山さんも絶対に美味いよ、と言ってくれてたけれど、こんなにとは!手前みそでもなんでもいい、本当にこんなに美味しいお米は味わったことない!やっぱり手間暇かけたからかなあ。

 トラックで乾燥した30キロ袋のお米がどどっと運ばれてきた時も、はんちゃんと2人でなんだか涙がうるうる出てしまったけれど、ホントにいろんなことを思い出します。苗づくりに遅刻したこと、初めて耕した自分の田圃(佐野好一さんのご好意でお借りしています)の感触、みんなで思いっきり楽しんだ田植えミーティング、トラックのセンターまで大阪から運ばれてきたダンボール詰めのアイガモちゃんたちと対面した時の興奮、コタツで暖め、水遊びをさせて育てた日々、死んじゃった2匹のこと、カモを放した時のキンチョー、雨の中の網やテグス張り、水の管理に明け暮れた日々、1反の田圃(カモ無しだが無農薬・無化学肥料でやっているコシヒカリの田圃)と3.3反のアイガモ田圃を行ったり来たり…1反借りている畑にも顔を出したり(こっちは丹波の黒豆と『りん蔵』というひまわり植えてます。担当はつんちゃん)、忙しいのなんのって社員3人じゃとてもじゃないが出来なくて、はんちゃんの旦那さまに休日平日関係なく手伝ってもらったし、アキちゃんのお父さんも何度も作業に来てくれた。静岡のつんちゃんには週2回なんて感じで来てもらっていたし、東京の磯村くんにもしょっちゅうヘルプを頼んだし。独りで生きていくことは出来ないよなあ、本当に。とにかく朝早くセリを摘んで、田圃に向かい、小屋を洗ってという作業が、懐かしく思い出されます。アイガモとのおっかけっこも大好きだったんだ。大変なヒエ取りも幾度もやりましたが、こちらも小イベントっぽくて、実は面白かった。ヒエの力に感心させられたし、稲との対話も、田圃の中のみんな(なぜかミスバイクの人多し)との会話も面白かった。堆肥は社員2人に任せっきりで私は北海道ツーリングだったので、偉そうなことは何も言えないけれど、いい肥料だったと思います。だってこんなに美味しいのだから。

 4ヶ月、楽しく夢中で駆け抜けてこれたのは、自然と人に恵まれたお陰です。みんなで新米のお握り食べている時は、こういうことをシアワセっていうのだろうなあ、と心底思いました。天の川がくっきり夜空の下、談笑はいつまでも続きました。22日から準備が始まって、23日の稲刈り、24日のテグス張り(カモの為に、一度取っ払ったテグスをまた張ったのです)とテレビ生放送、25日の出荷準備と、仲間と一緒によい時間を過ごさせていただきました。ありが稲…ね。
 日が変わって今は27日のお昼、倉庫で精米機が動いています。25俵採れたお米の出荷準備です。はっきり言って、これまで以上におおわらわの忙しさ。でもアイガモちゃんと仲間と共に作ったこの結晶を、一人でも多くの人に味わってもらいたい気持ちで一杯!それではまた。

雲に隠れた富士山を見ながら。レイコ

まだまだあるぞ!稲刈り写真館

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