産経新聞 平成15年(2003年)6月12日 木曜日 12版 18頁
ゆったり暮らせば 第11回
〜花粉症が治った〜
心と体を自然が解きほぐす
引っ越してすぐに犬の「きゅう」と出会ったことで、生活サイクルは百八十度変わってしまいました。東京ではほとんど昼夜逆さまに動いていたのに、日の出前から起きて散歩するのが日課になったのです。夜遅かったからまだ寝たい・・・と思っても、散歩に行きたくてウズウズしている「きゅう」を思うと、自然と身体が起きてしまいます。
散歩に行くことが至上の喜びである「きゅう」は、跳びはねながら近隣の農道や山林を全力疾走します。私も飛んだり跳ねたり転がったりと大忙し。三十分から一時間かけて散歩から帰ってくると、ひと運動終わって、その朝食の美味しいことよ! スポーツクラブで汗を流さねば気が済まなかった以前の感覚とはちょっと違います。嵐だろうが吹雪だろうが、「きゅう」は散歩に出たがります。付き添う私はずぶぬれになるわ、鼻水は出るわ、泥だらけだわなのに、へっちゃらどころか楽しくて仕方ありません。どんな環境でも走らねばならないライダーの性(さが)?
さて、実はその何気ない散歩の中に、私の求めていた答えのすべてがありました。「きゅう」のおかげで目線が低くなったことが大きかったのですが、トイレで足を止めたときや、モグラの穴を掘っているときに、ふと目に入ってくる草花の美しいことと言ったら! 「あれ、ツユクサってこんなに華麗なつくりだったっけ」「オオイヌノフグリってこんなに、かわいい筋があったんだ」。”気づき”の嵐です。毎日最低二回、自然の中を行くということは定点観測に近い行動ですが、とにかく「あれっ?」と思うことだらけでした。昨日までなかったのに今日現れた、なんてことはしょっちゅう。自然は常に動いていて、同じ姿は一度もありません。そして入り組んだ群生をよく見ると、勢力争いをしているのではなく、共生しているのが分かります。それは見事に譲り合っているのです。その草花や木々にいる様々な虫たちも、鳥にやられる危機感はどこへ、悠々と生を謳歌(おうか)しています。早朝の草原に張られた地グモの巣は、朝露の絨毯(じゅうたん)のようであり、朝日を浴びた牧草の穂は、それだけで仏様に見えるほど完璧(かんぺき)です。渡る雲も、すべてを輝かせる光も、交響曲のように草原に響き渡る鳥の囀りも、すべてが完璧でした。そして、楽しそう!
人の手で創ることのできない小宇宙に、思いっきり衝撃を受け続けた私ですが、ある時、ふと気づきました。「あ、私もこの宇宙にあるひとつの命なんだ」。力が入っていた身体が、すすすーっと解きほぐされていきます。自由に生きていると思っていた私ですが、どこかで大切な何かを忘れていたまま、無理をしていたのでしょうか。とにかく、この自然のありようのごとく呼吸をして生きればいいんだ、と思った途端に、何かが変わっていきました。鼻水をふくためのタオルをいつも首に下げていた私の花粉症が治ったのは、引っ越してわずか二週間ほど。十以上あった他の病も、半年もたたないうちに消えていました。心と身体ってホントにひとつ・・・。 |
山村さんのお気に入りは、ドーンと開けた草原を行く散歩コース、途中には酪農の看板もみられる=静岡県富士宮市根原
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