vol.34 2003年 6月17日  『ゆったり暮らせば』 第6回

産経新聞 平成15年(2003年)5月8日 木曜日 12版 18頁
『ゆったり暮らせば』 第6回 〜草原の赤い屋根〜
酪農家たちの声が聞こえそう


「どうしても見つからなかったら、ウチの古い牛舎を改築して住めばいいさ」。偶然知り合った酪農家のSさんは、そう言いました。切羽詰まった私たちには胸に詰まる言葉。家探しを相談すると、Sさんは地元の古い牛舎や廃屋など、朝霧の候補地を一緒に探し回ってくれたのです。住むには水や電気などの問題があり難航しますが、林の中の別荘より草原の酪農家屋の方が合っている事が分かり、心が軽くなりました。
 一方、探す間に何気なく聞いた話は重かったのですが、それを理解せずにここに住むことはなかったでしょう。
 戦後開拓団として入植した一世が造り上げたここは、かつては想像を絶するほどやっかいな土地だったそうです。冬は寒いし、水はなく、今でも少し掘ると大きな火山岩がごろごろしている大地には低木やススキしか育たず、まさに開墾の連続。彼らこそ無から有を生み出した人々でした。東北から遅れて入植したSさんは、私たちのどこかに共鳴してくれたようです。うれしかったのは、パリダカとか物書きとかいう肩書きを一切知らずに協力してくれたこと。名刺を渡したのはずっと後のことでした。
 そんな七月半ば、Sさんの妻がふとつぶやきます。「子牛の育成場跡はどう?」「あそこは廃墟で住めないさ」。ところが、すぐに見に行った元夫は「きっとお前も気に入る」と興奮気味です。仕事先から駆けつけた私も、そこに立った瞬間「ここだ!」と感じました。Tさんのログハウスで感じたものとは種類も強さも違います。嬉しくてぴょんぴょん跳ねまくりましたが、たまたま同行していた女性週刊誌の編集者は、廃墟で飛び回る私を見て「とうとう・・・」と思ったようです。
 草原にぽつんと浮かぶ赤い屋根が、まず目に飛び込んできました。青い波トタンが風雪でさびて赤くなったそうですが、とても暖かく感じます。背丈ほど伸びた雑草のアプローチを行くと、築四十年の波トタンで出来た平屋の母屋。一部屋根が落ちて空が見えていますが、四年前まで住んでいたという住居の畳はなぜかきれいで、住まい方が伺えました。ガラスが割れて小動物やクモたちのすみかになっていた集会部屋からは、集う酪農家たちの愉快な声が聞こえてきそうです。怖くない。ただ、空き家の間に捨てられたであろうゴミが、草の間からわんさか出てきました。でもそれがどうした、です。濃霧で富士山も地平線に伸びる平原もまったく見えず、セイタカアワダチソウだらけで何処までが敷地なのか分からないけれど、ここがいいと感じました。もし家探しの初めにここを紹介されていたら、きっと話しにならないと通り過ぎていたことでしょう。
 持ち主である開拓農協や地元に意志を伝え、返事を待つところまで取り付けて東京に戻った私は、半年ぶりに深い眠りにつきました。「SさんとKさんには一生足を向けて寝られないなあ」。マンション退出まであと二週間というタイミングでした。

敷地内にある酪農のサイロは、現在、バイクやウエアを収納する物置になっている。  
 


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