vol.14 2002年 1月 22日  私の自然体験

東京にいた時も散歩はよくしていましたが、ゴミを拾いながらというのはありませんでした。永遠に続く作業になってしまうからです。朝、駅前を掃除している人は、そうとう気持ちよかったのだな、ということが、ここに来て初めて分かりました。とにかく引っ越して得たことは、その散歩から派生した発見と気づきです。その延長線上に今の農業がありますし、別の夢もシャボン玉のようにどんどん生まれ続けています(消えてなくなるという意味ではありません!)。こんなバブルなら幸せで、大いにケッコウですよね。ここ朝霧に住んで一番多かった原稿の内容が、まさに、この「QCサークル」に書いたような自然体験だったと思います。

エッセイスター第13弾  「QCサークル」2000年1月号・(財)日本科学技術連盟

大好きな近くの散歩道で駆けめぐる愛犬「きゅう」。夕陽前には、いつも光のショーが楽しめる。

 「趣味は?」と聞かれると、「散歩!」と答えている。相手は必ず笑うのだが、馬鹿にしてはならない。散歩には、人生に必要なすべての答えが隠されているのだ。自宅にいるときは、朝夕2回、家の廻りの小道をあてもなく歩き回るのが日課だ。たった30分とか1時間たらずなのに驚くほど発見があり、また、発見がない日がないことに驚いている。
 この散歩と言う名の自然散策が始まったのは、5年前。都会を離れ、静岡県の朝霧高原に引っ越してきてすぐのことだ。やっと飼えた犬との散歩が切っ掛けだが、自然とはなんと表情豊かなのだろう。自然を知っていると思っていた私だったが、いつの間にかアンテナが鈍感になり、最初はただ緑が奇麗とか、牧草が気持ちいいとか、そんな大雑把なことしか感じられなかった。草木が枯れ始めたころ、まず最初に発見したのは、ゴミだった。観光客が捨てていったのだろう。年期の入った空き缶やコンビニ袋や吸い殻などが、1シーズンでトラック何杯も出て来た。観光地は辛いよと言いながらも、ひたすら拾いまくった。実は私、昔から掃除が趣味だったので、ゴミ拾いは喜々としてやっていたのだが、目線が下がるため、色んなことに気づいたのである。
 太陽を受けて霜が解け出した草木のなんと美しいこと!冬枯れの木々なのに、全ての枝が春を待つ蕾を抱えていたり、昨日までなかったのに、一斉に新芽が出てきたり、様々な種類の野草がまるで計算したかのように間隔を取りながら育っていく様は圧巻としか言いようがない。雨上がりには、山肌の木々がぐわ〜っと近くなり、まるで一枚の葉脈が見えるほど鮮やかだ。当たり前のことだが、改めて毎日観察していると、その絶妙な自然の摂理は、圧倒的な完璧さでそこにあった。凄い。凄すぎる。ふと、なんだかもっと楽しく自分らしく生きていく方法があるような気がして、私は30数年の固定観念を片っ端から崩し、改めて自然に学ぼうと思ったのだった。

菜園か単なる雑草か。答えは両方。畑仕事が始まると、「きゅう」はもぐら取りに精をだす。

 何をする訳ではない。ただそこにあるものを見せていただくだけだった。草花や鳥たちの名前と性格を知ることから始まり、あくまで観察することだけ。彼らの生活を脅かさないように、そっとそっと。とはいえ、冬はマイナス20度にもなる寒冷地である。横殴りの吹雪の散歩は辛いけれど、犬がいるお陰で続けられた。吹雪の後の散歩は、特に感動的だった。庭先でも様々な動物たちの足跡が見れるからだ。鹿、兎、イタチ、狐、狸、テン、オコジョ、雉・・・、地球という動物園に住んでいる自分を実感する。そして激しい風で波打つ雪面には、まるで砂漠の風紋のように、細かい紋が出来ていた。大地に目を近づけると、太陽の光でくっきりと陰ができ、それがあることでまた光り輝く面が存在していた。陰と陽の意味がすっと入ってくる。身近な自然史博物館は、いつも生きる知恵と勇気でいっぱいだった。
 二年目から、少しだけれどその自然と近付くようになっていった。野草のようなエネルギッシュな野菜を作ろうと小さな畑を作ってみたり、枝打ちバサミを持って、ジャングル化した近くの雑木林の整理を始めたのだ。それは三年目に花開き、素晴らしい楽園が出来上がっていった。野菜は50種類ほどがたわわに実り、自給自足も夢ではないなという感触があった。もちろん完全無農薬なので、雑草と虫には悩まされたが、それは「――大丈夫。私たちのDNAには、かつて食べ物を作っていた記憶が残ってますから、たとえ今まで何も作ったことがない人でも、土を触れば思い出します。何をすればいいか、土が教えてくれます」と言う自然農法の師匠の熱い言葉を思い出し、じっと我慢し、乗り切った。種の力を信じていれば、最小限の手間暇で雑草と共存しながら野菜は育ってくれることを知った。

 また、生きるために必要と思っていた多くの物が、ここの暮らしでは無くても生きられることも実感した。排水はすべて自分の敷地内で処理しなければならないので、リサイクルや自然派志向にはがぜん拍車がかかり、自分でぺろりと嘗められないものは捨てることができなくなった。排水が流れていく先には、私の大好きな野草たちの生きる大地もある。けっきょく、洗剤は石鹸がひとつあれば十分だった。
 私は気持ちも身体もシンプルになり、やっと自分自身のモノという感覚になってきた。と、何だか悟りの境地に入っていた今日この頃だったのだが、やはり自然は甘くなく、散歩をすれば、学びと反省の日々が続いている。たとえば私が蔦や枝の整理をした五百本ほどの樹木だが、よ〜く観察してみると、その蔦はけっして無駄なものではなく、むしろ自然の摂理にあっていたことが判明する。蔦を切ったことで元気がなくなった木もあった。絡まった蔦を切った途端にドカ雪が降り、寒さに耐えられなくなったのだ。また、その防寒着だった邪魔に思えた枯れ草たちは、スズメや鳩など野鳥の住処でもあった。意味もなく、多くの家を奪ってしまったのだ。自分の判断は、いかに想像力に欠け乏しいものだったかが分かり、がっくり。今年はまた、雑草たちが作り上げた色の世界に驚かされた。配色を考えて植えたハーブや花たちよりも断然美しく、どこを切り取っても1枚の絵画のよう。偉大なアーチストが描いているとしか思えないような光景だった。

1998年のパリダカから帰ってきた時。出発前に拾った野良猫「らん」は、吹雪の中で生きていた!(お散歩はいつもこのスタイルで)

 引っ越したばかりの頃、鳥たちの為に餌台を作ろうとしたことがあった。1メートルほどの手作りの枝を、窓辺に置いたら楽しいなあと思ったのだ。その話を野鳥の専門家にしたら、「一生続けるならやりなさい」とあっさり言われた。人間の都合で餌や水をあげることが、いかに生態系を崩すのか、その一言で理解して止めた。散歩では、その鳥たちの自由な様を目の当たりにして、なんだか自分が恥ずかしくなった。彼らは、穂をつけた細い牧草の草や、1メートルにもならない枯れ草の茎や葉に、それは見事に止まり、楽しそうに歌を唄うのである。草の植生はどんどん変わる。その毎年異なる自然の中で遊べる自由さはどうだろう。季節によって音色を変える鳥たちは、本物の自由を謳歌している。温暖化の中で世紀末の十月に、富士桜の花が満開になった。木々の新芽も吹きまくり、地球もいよいよかと思うのだが、それでも彼らは愛と平常心で舞っている。
 自然崇拝教の私に、誰かが言った。「甘いわね〜。調和してるって言うけれど、自然は常に闘っているのよ。根っこは勢力争いでいつ食うか食われるか。それは死闘の世界だからこそ美しいのよ」色んな自然観があるだろう。が、素人観察員の私だが、どうしても「自然は遊んでいる」としか思えない。兎が野犬に殺されて、そこに虫が集り、そのあとカラスに食べられて、跡形もなくなるような自然。けれどそこには人間のように「恨みや後悔の念」はなく、至福感と共にクルクル廻る輪廻転生の中で、すべてがうまくいっている。私の目標は、ここで生きる動物や植物たちのように、執着を持たず、けれどけっして妥協せず、笑い、歌うような人生を送ることだ。

 



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