vol.9 2002年 1月10日 ★馬と歩く道

馬で買い物に行こう。こんな話を始めると、けっこう目を輝かせる人が多いのでびっくりします。北海道あたりでは、実際に普段着の馬ノリをしている輩もいるらしいですし、地域活性化の一案として話題にのぼることは多いみたい。「馬道」構想も、ここ朝霧で出ていると聞きました。のんびりゆったり道草喰いながら移動するのも悪くないですよね。たまには全力疾走してみたりして・・・。こ、公道レースなんて絶対にしませんよ!

エッセイスター第8弾 FASE1999年12号

 ウマが気になっている。美しい姿で草原を駆け巡る、あの馬だ。昔から大好きで、観光乗馬はよくやったけれど、すでに鉄の馬(オートバイ)に乗っていたので、所有したいとは思わなかった。しかしこのところ、馬飼いたい熱が治まらず、なんだか大変なのである。そもそも四年前、広大な酪農地帯に住み始めたのがいけなかった。草を食んでいる動物の姿は当たり前で、まるで北海道かモンゴルかというような環境である。酪農家の跡地を借りたので、我が家には崩壊しかけた体育館のような牛舎が二つもある。ここを生かせば、馬房も無理なく建てられるだろう。馬のトレッキングルートだって開拓できそうだ。餌となり運動場となる草地を借りることができれば、遠い夢の物語りではない。

メキシコのバハにてトレッキング。馬との長旅は至福の時だった。

 それにしても何故馬なのかと言えば、草地の脇や雑木林を通って、近くの店に買い物に行けたら楽しいなあという発想からだった。走って三十分、車で数分。馬だとどの位かかるのだろう。ふだん車で利用することの多い国道一三九号線は、最近有料が解除され、利用者がぐっと増えた。快適な道だが、大事故は増えたように感じる。追い越し車線にはいつも超低速車が連なって走ってるし、登坂車線で車を停車させ記念撮影するなど、ルールなき利用者に頭を抱えることしばしだ。
 今日、車なくしては生活できない構造になってしまったことは認めよう。車が無ければ私たちの田舎暮らし計画とて現実的でなかった。それに何たって車は、素晴らしい至福感をたくさん与えてくれる。けれどこの便利な生活が、どこかで自然界の営みを狂わしているとしたら・・・。乗ることは否定しないが、同時にそのタイヤの下にある微生物などの生命を思いやる気持ちがないと、何処かでバランスが崩れてしまうような気がする。そんな今の気持ちにも、馬はぴったりだった。

 と思っていたら、もうすでに実行に移している地域が、九州と関東にあるという。空間経済学の観点から、学習院大学の川島辰彦教授も研究しているそうだが、町の交通機関として馬を使うと、どういうメリットとデメリットがあるか多面的に調べているそうだ。どのくらいの範囲をカバーできるのか、繋ぐところ(パーキング)はどうするのか、子供たちも乗るのか、糞処理は、飼育は・・・と、いろいろ疑問が湧いてくるが、いずれも大した問題ではなさそうだ。糞は自然に返るものだし、事故も車より少ないだろう。車と馬という二つの移動手段が同時にある世界。これくらいの流れが人間にはちょうどいいのかもしれない。それに馬が歩く道は、きっと人間や自転車にとっても楽しい道のはず。
 いつか馬に乗って遠出に行きたい。許されれば、出張にだって行ってみたい。それは日本縦断ほどの旅になってしまうかもしれないが、距離の実感は何よりありそうだ。乗り物と人の関係も、そのくらい密で緊張感があった方がいいような気がする。

 



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