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愛しいものだからこそ「まったくもう」と言いたくなるのが人間というものです。ぐちぐち言ってるように聞こえたら、それほど好きなのねと思ってください。トレーラー生活はなにしろエキサイティングで楽しいし(子供のころの隠れ家みたいなノリ)、雨漏りだって雨漏りのないことの凄さを知るためには絶対に必要な体験なんですよね。私は初めていっらしゃる人には「乱暴な家ですが・・・」といって覚悟をしてもらいます。長靴、軍手、防寒具、シュラフなど持参で来てもらうのですが、家の中にヤマカガシやミミズや大量のカマドウマやカメムシが出たときは、さすがに驚かれます。でも昔はみんなこんなでしたよね〜。んっ?ほんとかな?
エッセイスター第7弾 山村レイコの自然にヤッホ〜♪1998年夏号 大変だ、大変だ!とにかく毎日大変だ〜!今日は朝から蟻取りだった。住居として住んでいるアメリカ製のトレーラーハウスの何処からか入り込んだ蟻クンが、昼夜を問わず居間をはいずり回っているのである。なるべく殺生は避けたいと思っているものの、その数たるやすさまじく、どっちが住人か分からない。見つけては「御免」と言いつつプチュッ。一週間ほどたつと、蟻の習性が分かり、そのうち会話も聞こえてくるようになってきた。可愛いけれど、どこか別のところに安住の地を見つけて欲しいと願うばかりだ。 小蝿クンも今が全盛期。ごく一般的な大きな蝿は、当たり前にごっそり飛んでいて(なにしろここは酪農地帯。そして隣はきのこ用堆肥づくりの工場である)、家に入り込んできた者に対しては、昆虫採集で使う網で採っては外に出し、という作業を永遠に続けている。剣道少年だった夫は、百%の確率で捕まえるので、ちょっと惚れ直したりもする。で、やっかいなのは、二ミリほどの小蝿だ。網戸を潜り、油断をすると百匹ほどが窓にへばりついている。濡れたテッシュでエイッと潰すと、赤い血らしきものが出てくるので、蝿ではないのかもしれない。こちらは蟻より逃げ足が速いので、精神統一が必要である。食事をしながら、テレビを見ながら、音楽を聞きながらも、自然と目は蟻と蝿を追っている自分がいる。いささか疲れるが、これもここにやって来た私たちがよそ者であって、彼らに罪はない。たぶん一生、こういったやりとりが続いていくのだろう。 まだある。朝霧高原というくらいで、ここは一年の半分くらいが霧。幻想的だし、喉にいいし、砂漠の砂嵐に似ていてなかなか良いのだが、住むとこれが結構大変。除湿をしても、タンスの洋服たちは、カビカビ。一度も着ていないのにクリーニング行きというのもあって、哀しくなってくる。今年は晴天の日が極端に少なかったので、三月以降、布団を干せたのは、なんと五月の半ば。梅雨入りの直前とあって、遠出の仕事をキャンセルして布団を干しまくってしまった。昔から布団干しを趣味としている私にとって、これが一番キツイことかもしれない。「干したい。干したい」とうわ言のように呟く私の姿は、もう近所で噂になっているはずだ。もちろん布団や洗濯物の乾燥機が世の中にあることも知っている。しかし、それらは都会を離れる時にフリーマッケットで売っ払ってしまった。太陽の力で生きていこうと思ったからだ。大変と言いつつも、それらから多くを学び、楽しむことだ。じゃないとやってらんない・・・。 庭の作物たちにとって嬉しい恵みの雨も、また大変のひとつ。昔どの家でもよくあったことだが、我が家の建物は、ぜ〜んぶ雨漏りがしてくる。トレーラーは二度ほど漏れて、コーキング剤で修理した。事務所にしている四十年ほど前の母屋は、天井にボタボタ音がして、いつドド〜ッと流れてくるか気が気でない。昨夜の土砂降りでは、新しく入れた二重サッシと古い母屋の相性が悪いらしくて、バケツ一杯の雨が漏れてきた。今夫は、その修理の真っ最中だ。昨年造った古電柱を使った四輪ガレージも漏るし、やはり手作りの半露天風呂も土砂降りだと漏る。十年を過ぎた愛車のワンボックスも台風級の雨で漏ることが判明。てな訳で、自然の中で暮らしを始めてから、様々な「オーマイゴット」がやって来る。すべて自分たちの知恵と労力で対処していかなければならないのだが、そんな時こそ生きている!という実感が湧いてくるのだからアラ不思議。「大変」が、何故か楽しい今日この頃である。
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